みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

「2つの時代の平面・絵画表現 泉茂と6名の現代作家」展

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 Yoshimi Artsとthe three konohanaで10月9日〜31日に開催の「2つの時代の平面・絵画表現 泉茂と6名の現代作家」展を見てきました。戦後長く大阪の近現代美術において重きをなしたことで知られる画家泉茂(1922〜95)を軸に、両ギャラリーが選んだ6人の若手〜中堅の現代美術家とのグループ展となっています。


【今回の出展作家】

 ○Yoshimi Arts:泉茂、今井俊介(1978〜)、加藤巧(1984〜)、佐藤克久(1973〜)


 ○the three konohana:泉茂、上田良(1989〜)、杉山卓朗(1983〜)、五月女哲平(1980〜)


 1950年代に瑛九(1911〜60)率いるデモクラート美術協会に参加して主に版画を手がけてきたが60年に渡米後は抽象絵画を制作の主軸とするようになり、帰国後は大阪芸大で後進の育成に当たりながら時々に応じて作風を変化させつつ独自の画業を展開し続けた泉茂──Yoshimi Artsとthe three konohanaは2017年に初めて共同で回顧展を開催して以来、折に触れてほぼ毎年泉の(未発表のものを含む)作品による企画展を開催してきましたが、迎えた今年は泉の作品と、泉のことを直接には知らない世代の美術家の作品とを並列して見せるという方向に大きく舵を切っています。それもただ漫然と並べるのではなく、事前にギャラリストと出展作家たちがミーティングを重ね、彼/彼女たちがとりわけ興味を持った泉の作品と、この展覧会のために制作した新作とを一緒に展示するというものとなっておりまして、観者は泉の作品と出展作家の作品、そして双方の関係性を敷衍した上で出展作家たちの──泉に対する見識を通した──絵画鑑をも視野に収めながら見ることになる。


 以下、各出展作家について、泉の作品との関係に焦点を当てながら簡潔にメモしておきます。

 

 ○今井俊介氏

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 旗がはためいている様子を容易に想起させるような絵画作品でブレイクし、近作ではさらに発展して、複数のストライプや色面がランダムに折り重なっているような絵画作品を集中的に描いている今井氏。関西では作品に接する機会がなかなかないので、貴重な機会となっています。今回は泉が渡米を経てフランスに滞在していた時代に描いた絵画作品二点と自作の大作と小品の絵画二点を並べていました。泉はアメリカ〜フランスに滞在していた時期(1960年代)、筆で即興的に描いたドローイングの一部分を拡大してトリミングし、改めて精密に模写するという手法で抽象絵画を多く制作していましたが、今井氏の作品もまた、大作の絵画が小品の絵画の一部分を拡大して描かれていたことに顕著なように、泉の手法を上手く自作に変換して描き出している。


 ○上田良女史

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 加納俊輔氏、迫鉄平氏とのユニット「THE COPY TRAVELERS」のメンバーとしても知られる上田女史は、ソロ活動においては複数の要素を相互の異質性を強調するように重ねて作ったオブジェを浅い被写界深度で撮影した写真作品を多く手がけています。今回はそうして撮影した写真作品と、泉が80年代後半〜晩年に多く手がけた雲形定規をテンプレとして自在に用いたドローイングとを並べて出展。帰国後、それまで幾何学的フォルムが突出した作風だったのが、デモクラート時代のような抒情を描く作風に再び回帰したことで当時驚きをもって迎えられたであろう泉のレイトスタイルにおいては、描くことと見つけることとが極端に近接している──「作ること」よりも「見つけること」が重要だと、泉は繰り返し述べていたといいます──のですが、上田女史による「見つけられた」ものたちが乱舞するオブジェの写真は、そういった泉のレイトスタイル(これをどう位置づけるかについては、今後の研究が待たれます)との並行性を強く意識させる。


 ○加藤巧氏

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 テンペラやフレスコといった中世ヨーロッパにおける絵画技法を現在において再起動させたことに顕著なように、一枚の絵画を成り立たせる要素(支持体、絵具、技法etc)を材料や歴史性のレベルにまでいったん細かく解体しそれを再構築して描く──絵画は、そこでは事後的に「一枚の絵画」に総合された複数の流れとして再定義される──ことを長く続けている加藤氏は、今井氏と同じくフランス時代の泉の作品と自作を向かい合わせに展示していました。近年の加藤氏は「一枚の絵画」に事後的に総合していく運動に内在する、絵画史にとどまらない歴史性を自らの手によって開放していく方向へと軸足を移動させており、それは豊穣な成果を生み出しつつあるのですが、加藤氏が選んだ泉の作品は(今井氏が選んだものよりも)よりストロークが強調されたドローイングを精密に模写したものであり、そのような作品を選んだところに、加藤氏自身の仕事との類縁性がはっきりと見出されていると言えるかもしれません。それは、泉の作品が版画であり、「改めて描く」ことによる間接性がさらに累乗していることで、さらに強調されるだろう。


 ○佐藤克久氏

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 当方は今回初めて作品に接したのですが、主に名古屋をホームにして活動しているという佐藤氏も、加藤氏同様、泉の(70年代の)版画作品をチョイスして自作と並べていました。モノクロームが多いこの時期の作品としては珍しくカラフルな相貌を見せていますが、同時に幾何学的形象の探求に没頭していたころの作風もよく反映されている。そのような作品と、やはりカラフルでありつつ形象へのフォルマリスティックな意識が際立った自作を並べたことで、出展作家の中でも泉とのシンクロ率の高さという点では後で触れる杉山卓朗氏と双璧だったと言えるかもしれません。それはとりわけ泉との並行性を改めて見出したからということで出された2007年の作品も出展されていた(今回、出展作家の中で発表後10年以上経った旧作も出したのは佐藤氏だけでした)ことで、さらに際立っています。結果として、泉の作品もまた佐藤氏の作品のように見えたのでした(驚)。


 ○杉山卓朗氏

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 PC上で生成した形態のパターンをモティーフにした絵画を描き続けている杉山氏。今回は泉が1966〜69年に集中的に制作しながら習作だったこともあって数年前まで未発表だったドローイングと自作を並べて出展しています。それは上述したアメリカ〜フランス滞在時代の作風と、帰国後(当時最新のツールだったエアブラシを得たことでさらに)全面化するであろう幾何学的形象への探求が突出していく作風との言わば端境期に当たる。かような、当時の泉における制作の新展開を予感させる作品を選んだあたりに、杉山氏の慧眼が見出されます。以前から杉山氏の作品はモティーフやそこから受ける印象、さらには方法論的なレベルに至るまで泉茂っぽいと当方の周囲では言われてきており、いつかどこかで並んで見る機会があればいいなぁと思うことしきりだったものですが、今回の展覧会によって時を経て実現したことになるわけで、ゼロ年代から杉山氏の作品に接してきた者としては感慨ひとしおでした。


 ○五月女哲平

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 今井氏同様関西では作品に接する機会がなかなかないため、今回は貴重な機会となった五月女氏ですが、一見すると単純な幾何学的形象を描くことに特化しているように見えつつも実際には絵画内の諸要素が繊細な手つきで関係づけられているような作品を手がけていることで知られています。そんな五月女氏が選んだ泉の作品はアルミ板に刷られた版画作品でした。よく知られているように、70〜80年代の泉はエアブラシを使ってメタリックでモノクロームな質感と色彩感をともなって円形や三角形といったプライマルな形象を描いていきますが、この版画作品もまたそのような時期の泉の関心が非常に強く反映されたものであると言えるでしょう。70〜80年代の泉においては形象への関心が突出しているように見えつつも、形象を歪ませたり様々な線と絡めたりするなど、同時代のいわゆるミニマルアート/ミニマリズムの潮流と較べてより細やかな探究の軌跡が見出されますが(そのあたりについても今後の研究が待たれます)、そこにも五月女氏との並行性が見出されるでしょう。


 ──以上6名の作品が二箇所に分かれて展示されていたわけですが、一見して明らかなように、6名とも泉の作品に対する理解度が非常に高かったことにまずは注目する必要があるでしょう。結果として泉の作品だけが突出して目立つのではなく、泉の作品も6名の出展作家の作品も同じレベルにおいて見られるものとなっていました。上述したように、それは佐藤克久氏のコーナーで顕著だったのですが、いかに事前の作家選定の折に抽象画家、それも絵画における「形象を描くこと」への考察を画業の出発点/到達点としている傾向性を持つ抽象画家たちをメインにしたであろうことが一目瞭然で、泉とある程度(絵画)史的バックグラウンドを共有しているとはいえ──だからかかる並びに上田良女史が入っていることが個人的にはかなり意外でしたし、しかし出展作の力によって納得もさせられたのでした──、泉の作品に内在していた/しているものを思いもよらない形で提示しえていたことは間違いない。結果として私たちは泉の作品を過去のマスターピースとして以上に現在の作品として見ることになり、現存作家としての泉茂という不思議な位相において改めて刮目して見ることになったのでした。


 「2つの時代の絵画表現」というタイトルながら、そこにおいて現われていたのは、紛れもなく過去と現在(と未来)に通底するひとつの精神であり、で、このひとつの精神は絵画を唯一性のもとに終結/閉止させることに抵抗するものとしての「ひとつ」である。それを作品とコンセプチュアルに周到なケアのもとに提示していたところに、この展覧会のアクチュアリティがあると言えるでしょう。

HUB IBARAKI ART PROJECT 2021

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 黒田健太(1995〜)氏が選定作家となった今年のHUB IBARAKI ART PROJECT(以下HUB IBARAKI)。そのメイン企画である舞台公演 《now, here, nowhere 今、ここで、立ち尽くすために》(以下《今、ここで、立ち尽くすために》)が2021年9月26日に茨木市福祉文化会館で行なわれ、当方は1回目、13:00からの回とアフタートークを見てきました。京都を中心にコンテンポラリーダンサーとして活動しているという黒田氏ですが、今年のHUB IBARAKIのメインは氏が茨木市内各所に出向いて路上や公園、広場などでストリートミュージシャンやダンサー、ジャグラーたちに声をかけて突発的にセッションを行ない、そこでピックアップした彼/彼女たちと会期の最終日に舞台公演が行なうというもの。で、そこに数回にわたる公開リハーサルや各種の小規模なワークショップが付随していたそうです。


 さておき、実際の舞台はといいますと、明確なストーリーと呼べるものはなく、舞台に上げられた出演者たちの普段通りの実践がかわるがわる再演されたあと、そこに黒田氏のダンスや出演者たちの掛け合いがジャムセッションのように展開されるというものでした。時間が進むにつれて、それらは断片化・抽象化の度合いを増していくのですが、少なくとも上述したような黒田氏の、そして出演者たちの茨木市での体験や日常、彼/彼女たちが見てきた/見ているであろうヴィジョンが素材として大きな要素を占めていたことは間違いなく、それらを舞台の上で即興的・ジャンル横断的に(リ)ミックスして見せていくことに主眼が置かれていたわけですね。その意味では今回の《今、ここで、立ち尽くすために》は、純粋なコンテンポラリーダンス(純粋なコンテンポラリーダンス?)というよりは、ピナ・バウシュ(1940〜2009)がヴッパータール舞踊団において提唱・実践していたTanztheater(ダンス+劇)に、あるいは古橋悌二(1960〜95)が健在だった頃のダムタイプが行なっていた舞台作品に、フォルムとしてはかなり近かったと言えるのではないでしょうか。


 かかるジャンル分けや類例、先行例についてはともかくとして、ここで重要なのは、HUB IBARAKIにおいて、山中俊広(1975〜)氏がチーフディレクターになってから押し出されている「パブリックとプライベートの境界を考える」というテーマと、あるいは〈公共性〉をめぐるアート(いわゆるSocially Engaged Art)の実践と重ね合わせてみることでしょう。今年のHUB IBARAKIは「パブリックとプライベートの境界を考える」をさらに一歩進めた「パブリックとプライベートの接点「ストリート」を拡張する」をメインテーマに掲げており、実際それはこの《今、ここで、立ち尽くすために》において「ストリート系」と肯定的にも否定的にも名指しされる存在たちをプロアマ問わず舞台に上げて作品を作るというところに最も端的に表現されているわけですが、かような観点から見たとき、どのようなことが言えるのか──結論から言いますと、私たちはここにおいて〈公共性〉概念をめぐる別種の思考と実践、さらには(演じられることが遂行的に行なう)批評を目撃したと言わなければならないでしょう。言い換えるなら、「パブリックとプライベートの接点」としての「「ストリート」を拡張する」ということを、一方をもう一方に還元するとこととも、双方を安直に野合[コラボレーション]させることとも違った所作においてなされたということである。


 それはこの作品が、他の様々な要素を織り込みつつも、まさにダンス/Tanztheaterを枢要としていることに、如実に現われています。ポスト構造主義以後のフランス現代思想界の大立者として知られるアラン・バディウ(1936〜)はそのダンス論「思考のメタファーとしてのダンス」(『思考する芸術 非美学への手引き』(坂口周輔訳、水声社2021)所収)において、ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』において発した箴言「飛ぶことを学ぶ者は大地に新しい名を与えるだろう」を用いつつ、ダンスを〈演劇の反対物〉と定義しています。《ダンスと演劇とのあいだには、本質的な対立があるのだ》というわけですね。ではその対立線は、バディウにおいてどのように顕在化されるのか──かいつまんで言いますと、それはダンスによって新たな「名」を与えられる「大地」をめぐって、そして双方の演者における身体性の違いをめぐって顕在化される。どういうことか。


 「思考のメタファーとしてのダンス」に添いつつもう少し詳しく見ていきますと、ダンスと演劇の最も大きな違いをバディウは身体の匿名性の有無に見出しています《場所に出来するような、切迫性のなかで自らを空間化するようなダンスする身体は身体-思考であり、誰かでは決してない。(略)ダンスする身体は一人の登場人物、あるいは一つの特異性を模倣することはない。それは何も形象化しないのだ》。つまり誰か/何かの模倣であるか否かが演劇の身体とダンスの身体を分かつ要素となるわけですね。そして匿名の身体がダンスする場もまた必然的に匿名のものとなるだろう。従ってバディウにおいて演劇はテクスト=戯曲や俳優の身体に拠る限り、大地や身体の匿名性から離れた営為であるとされるのですが、〈公共性〉が古代ギリシアの時代からほかならぬその演劇としてあるいは演劇の比喩のもとに定義されてきたこと、それゆえ匿名の、誰か/何かの模倣ではないような身体が一貫して埒外に置かれてきたことを考えたとき、私たちはバディウに導かれつつ、従来の〈公共性〉とは似て非なる〈ダンス的公共性〉というべきものについて考える端緒を得ることになるでしょう。


 そう、ダンスとはまさしく踊られる度に、身体が大地に与える新たな名である。だがどんな新たな名も最後のものではない。絶えず行われることで、様々な真理の前-名の身体的呈示であるダンスは大地を再び名づけるのだ。

 

 ──上述したように、(ニーチェ→)バディウにおいてダンスはそれによって「大地に新しい名を与える」行為であるとされているのですが、しかしそれはただ一度の行為ではなく、絶えず行なわれ、「再び名づけ」られるものである。しかもそれは「様々な真理」と紐づけられる。バディウは昔から(フランスにおける「68年革命」に導かれるように)真理をただ一つのモノではなく偶発的な出来事として取り扱っている。従って「偶発的」である限りにおいて、真理は「一つ=唯一性」を減算された「n-1」((C)ドゥルーズ)個の出来事として現われることになるだろう。そしてそのような出来事=様々な真理の、まさに「様々」にかかわるのがダンスであるとされるわけですね。してみると、〈ダンス的な公共性〉と従前の〈公共性〉とを分かつクリティカルポイントは、この(ドゥルーズ→)バディウにおける「-1」に見出されることになります。


 以上のような角度から改めて《今、ここで、立ち尽くすために》に戻りますと、茨木市各所で自然発生的に行なわれているストリートミュージシャンやダンサーの諸行為を改めて舞台に乗せている点において、また彼/彼女たちと黒田氏の出会いが偶発的であることにおいて〈ダンス的な公共性〉を思考/志向していることはたやすく見て取れるでしょう。しかし黒田氏はここでより周到に構成していたことを大急ぎで指摘しなければならない。特にそれは本編の後半において映像が投影され、そこで黒田氏が最初に行なった二人のストリートダンサーとのジャムセッションの模様が収録されていたところに、如実に現われている──阪急南茨木駅のコンコースで行なわれたこのセッションで黒田氏と二人は意気投合したように見えつつ、しかしこのあと現在に至るまで双方の再会はないのでした。今回の作品が一見するとアートの外側で「自然発生的に」行なわれている諸表現を舞台にあげることによって「多様性」を担保しているという、いわゆるsocially engaged artにありがちな(そして「政治的に」「正しい」とされる)所作を反復しているように見えつつしかし決定的に袂を分かっているのは、まさにこの出来事が黒田氏における「-1」としてあることが観客にも見て取れるところにある。多数の「n」が舞台上で自由闊達に自己表現を開花させていることと同時に、黒田氏の「-1」が、それらを可能にする条件として同時に前面化している。上述したように《今、ここで、立ち尽くすために》には特定のストーリーというものは(少なくとも、明示的に演じられるようなものとしては)ないのですが、全体を構成しているのは、この「n-1」の構造であるわけです。


 「忘れていく人の顔や流れていく路上の景色に、どうにかして再び出会いたい」(公演前に出された黒田氏によるマニフェストより)──このとき「今、ここで、立ち尽くす」ことは、単なる行為の停止ではなく、それ自体が「-1」として「大地に新しい名を与える行為」となり、もって〈ダンス的な公共性〉へと差し向けられる新たなダンスとなるでしょう。少なくとも、その可能性の萌芽が示されていたところに、《今、ここで、立ち尽くすために》の特筆大書すべき美質がある。

 

中小路萌美「境界のかたち」展

 
 
 
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 西天満にあるOギャラリーeyesで4月12日〜24日に開催の中小路萌美「境界のかたち」展を見てきました。関西や東海地方を中心に精力的に活動している中小路萌美(1988〜)女史、近年はだいたいこの時期にこのOギャラリーeyesで個展を開催していますが、昨年はコロナ禍の影響もあって小品展の開催にとどまったため、新作を揃えた個展は二年ぶりとなります。


 さておき、今回は大小十点の絵画が出展されていました。デビュー以来、中小路女史の絵画は、風景画から抜き出された諸要素を改めて配置し直すという形で描かれており、それは今回も同様でした《私は実際に見た風景を元に何十層と色を重ねながらかたちを再構成し、見たことのない色やかたちを生み出そうとしています。例えば家や木がある風景であれば、まずキャンバス上に風景をそのまま描き、次にその家や木のかたちとかたちを合体、分解、回転させます。すると徐々に意味を持たなくなった色とかたちが反応し、むにゃむにゃとしたものが生まれ、まるでいのちを得たかの様にあちこちへと動き始めるのです》*1。つまり中小路女史の絵画は一見すると抽象画のように見えますし、実際そうなのですが、しかしそれを構成する要素はかかるプロセスによって得られた実在する/したものに由来しているわけで、その意味でメタ風景画というべきものとなっている。従って、抽象画といっても、具象的なものごとから完全に解離している(あるいはそうあることが目指されている)というわけではなく、コラージュ的に描かれた構成要素が以上のようなプロセスを経て改めて見出され使われていることで、どこか私たちの生きている生活世界との接点が残されているように見えるわけです。その意味で彼女の抽象画は、その歴史の中で蓄積されてきたであろうような、生活世界から解離され還元された形態や色彩の存在感やせめぎ合いをそのまま見せること──巷間、抽象画が意味不明なものとして受け取られてしまうのは、かような行為が広く共有されていないことに起因すると言えるでしょう──とは違った方向性を志向していると言えるでしょう。


 このとき、中小路女史が以上のようなプロセスによって見出されたものを〈むにゃむにゃしたもの〉と呼んでいることは、彼女の作品について考える際に非常に重要である。今回の展覧会に際して出されたステイトメントの中で中小路女史はこも〈むにゃむにゃしたもの〉について次のように述べています。

 

 絵の中のかたちは風景が元になっており、きっぱりとした直線やうねうねした曲線、もやのようなものと様々です。私はこれを「むにゃむにゃしたもの」と呼んでいます。このむにゃむにゃしたものは沢山の再構成を繰り返して生まれたものですが、風景の中にあった形そのものが変化しただけではなく、余白みたいなものが混ざっています。


 風景を一箇所からみると遠くのものも近くのものも同時に見えてはいるけれど、本当はそれぞれがはるか彼方にあって、その距離をぎゅっと圧縮した時に滲み出るなにか、それが「余白」であり、言い換えるなら間(あわい)のようなものでしょうか。*2

 
 〈むにゃむにゃしたもの〉とは「風景の中にあった形そのもの」が「沢山の再構成を繰り返して生まれたもの」だが、そこには常に「余白」が混じっている。そしてその「余白」とは風景の中にあるものが「その距離をぎゅっと圧縮した時に滲み出るなにか」である──中小路女史自身によるかような〈むにゃむにゃしたもの〉の定義は、彼女自身の絵画の説明であると同時に、それを更新する可能性をも含んでいるように、個人的には思うところ。これまでの中小路女史の絵画は、彼女が見た風景を構成要素としていることが如実に示しているように、「私は世界-内的存在である」ということを出発点としているのですが、今回の「境界のかたち」展において「余白」の存在がクローズアップされたことで、「風景の中にあった形そのもの」から要素を得て描くことが新たな形で改めて選び取られているわけです《私が静物や人物といった別のモチーフでは大きさや距離が足りないと感じていたのはこうした理由かもしれません。余白が足りないのです》。このとき、そこに「余白」が加わることで、彼女の絵画には自身の内的世界に対する剰余が描き込まれることになるだろう。そのような要素を描き加えるようになったところに、これまでの画業に対する自己批評と新展開を見出すことができるかもしれません。


 この〈むにゃむにゃしたもの〉を「余白」を含み込んだものとして考え直すとき、そこでは絵画における「空間(性)」、とりわけ絵画空間内における「図」と「地」の関係性が問題になっていると読み替えることができるでしょう。〈むにゃむにゃしたもの〉という言葉はその語感において不定形な何かを見る側に予感させ、図と地の関係性を単一ののっぺりとした「地」が複数の「図」を支えて共存させるという静的なものではなく、「地」と「図」双方が相互貫入的に影響しあうような動的な関係に置き直すことをも予感させる──ところでかかる中小路女史のプログラムの射程について考える上で、岡﨑乾二郎氏による坂田一男論は多くの示唆を与えるものとなっています。自身がキュレーションを行なった「坂田一男 捲土重来」展に寄せた論考の中で、岡﨑氏は坂田がフランスで直面し、帰国後もそれへの回答として自身の表現を独自に洗練させていった問題系について、次のように述べています。

 

今日に至るまで、通俗的モダニズム絵画のルーティンはニュートラル空間(多くは白色の余白)の提示にあり、そのニュートラルな空間を基底にして、その上に複数の形態、異質なオブジェが、ときに整合的にときにランダムに浮遊するように配置される、あるいはそれぞれの形態が透明に重なりあっているかのように表されるというものでした。(略)つまりこの基底に置かれたニュートラルな空間(平面)には、互いに異質ないかなる事物でも置くことができ、並存させることができる。つまり基底になる空間(平面)と、その上に浮遊するさまざまな図=事物は論理的な階層が別である。図は交換可能であるけれども空間はあらかじめ一義的に決定されていて変わることはないのです。図は下位レベルであり、空間(平面)は上位レベルにある。


坂田の絵画の向かっていた方向はまったく異なりました。ニュートラルだとみなされてしまいがちな絵画の平面を単一なものとみなさず、潜在的に異なる質をもった複数の平面があると認め、それを実体として扱う。すなわち同じ平面の上で異質な事物を遭遇させ並存させるのではなく、異なる複数の平面が同時にそこにあるとみなし、それを遭遇、並存させることこそが目指されていたのです。*3

 
 「絵画の平面を単一なものとみなさず、潜在的に異なる質をもった複数の平面があると認め、それを実体として扱う」ところに坂田の絵画の特質があると岡﨑氏は述べているわけですが、ここまで見てきたように、中小路女史の「余白」は(岡﨑氏における)坂田の問題意識と確実に呼応しつつ、その先をも見据えている──「異なる複数の平面」を「異なる」ものたらしめる要素とは何か、そしてそれを画面に描き込むことは可能なのかという疑問にいかに応答するかという問いである。「余白」と〈むにゃむにゃしたもの〉が重要なのは、かかる問いを含んだ位相においてであるわけです。


 ある時期以降、中小路女史の絵画は明確にこの問いを含んだものへと移行しています。つまり、風景画の中の要素によるコラージュが「互いに異質ないかなる事物でも置くことができ、並存させることができる」ものであることをやめ、「異なる複数の平面が同時にそこにあるとみなし、それを遭遇、並存させること」へと明確に方針が変わっている──その転換がいつなのかを特定することは難しいのですが、管見の限り、それは「図」にも「地」にも筆触が明確に現われるようになったときに、かかる転換がなされたと見ることができます《すべてのかたちは等しく、フラットになることが私の絵では重要です》*4。この「すべてのかたち」が「地」を含みこんでおり、それを可能にする因子こそが「余白」であることは、何度でも指摘されるべきでしょう。結果として中小路女史の作品はモダニズム/抽象芸術が潜在的に持っている動的な関係性への指向を改めて問題化していることによって、モダニズム/抽象芸術の問題意識を正当に受け継いでいる。

 

 

 

 

 

*1:引用元→ https://cheerforart.jp/detail/1512

*2:中小路萌美ステイトメントより

http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/2021/2021-4nm/2021-4nm.html

*3:岡﨑乾二郎「捲土重来 再起する絵画(絵画の変容そして勝利)」

*4:中小路[2021]

当方的2020年展覧会ベスト10

 年末なので、当方が今年見に行った402(コロナ禍のせいで昨年から比べるとかなり減りましたが……)の展覧会の中から、個人的に良かった展覧会を10選んでみました。例によって順不同です。



・「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」展(6.4〜10.11 国立国際美術館

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 ベトナムに生まれるも幼少期に家族で脱出し、その後欧州で育って現代美術家となったという経歴を持つヤン・ヴォー(1975〜)。そんな彼の日本初個展となったこの展覧会は、以上のような彼の来歴に決定的な影響を与えたベトナム戦争にまつわる文物を集めて再配置するものだったが、文物の貴重さ──「休戦協定が調印されたパリのホテルにあった巨大シャンデリア」や「(当時の米国務長官だった)ロバート・マクナマラヘンリー・キッシンジャーの直筆メモ」など、そんなのよく手に入ったなぁと呆然とすることしかもはやできなかったもので──もさることながら、それらを再配置したり父親の作品を間に挟んだりすることで、自身の来歴を現代史に接続させる手腕が非常に巧みであった。非欧米圏の美術家が自身の来歴を制作によって提示すること(それはしばしば「ポストコロニアリズム」という動向のもとに語られる)の極大値であり、文物同士の関係性を自由自在に操作することで多面的な歴史のナラティヴを実現させているという点において、様々なイズムに対する抵抗ともなっていたわけで、きわめて稀有な鑑賞体験となった。

 

岡崎乾二郎「視覚のカイソウ」展(2019.11.23〜2020.2.24 豊田市美術館

 
 
 
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 1980年代にデビューして以来、絵画や彫刻といった様々なジャンルを飛び越えて重要な仕事を制作し続けてきた岡﨑乾二郎(1955〜)氏の初期作品から最新作に至るまでを一望できる貴重な機会となった。とかくなるほどさっぱりわからん感が先立ちがちな岡﨑氏の作品だが、配置の仕方に工夫を凝らしたり──とりわけ長いタイトルの絵画作品シリーズと初期の代表作となる《あかさかみつけ》シリーズとを隣接させていたのは、ポイント高──、キャプションに説明を多めにつけたりと、氏の展覧会の中でも割と教育的(?)配慮がなされていたのだが、それらと作品とを両睨みにすることで、とっつきにくさが先立つように見える岡﨑氏の作品がチャーミングな側面すら含んでいることを体感できた次第。無論これで氏の仕事の全貌を見切ったとは間違っても言えないのだが、少なくとも後世の未知なる観者にも開かれる機会となったことは、間違いあるまい。

 

・「坂田一男 捲土重来」展(2.18〜3.22 岡山県立美術館

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 ──そんな岡﨑乾二郎氏の監修のもと、岡山出身で1920〜30年代に渡仏していた以外はほぼ岡山県内で活動していた坂田一男(1889〜1956)の画業を通観するという趣で開催されていたのがこの展覧会。岡﨑氏は以前豊田市美術館で「抽象の力」展を開催し、1920〜30年代ヨーロッパにおける抽象芸術の同時多発的な展開を物質が知覚を超えてダイレクトに精神に働きかける力の追求と(再)定義していたが、「抽象の力」展が〈抽象の力 接触編〉とすると、フランスでフェルナン・レジェに師事しつつピカソモンドリアンなどと交流を結んだ(そして帰国後も岡山においてひとり世界の巻き直し=捲土重来(=革命?)を画業において探究していった)という坂田にクローズアップしつつその仕事を彼らとの対質において追っていった「坂田一男 捲土重来」展はさながら〈抽象の力 発動編〉というべきか。いずれにしても、1920〜30年代ヨーロッパにおける抽象芸術の同時多発的な展開に対して同時代の日本人美術家たちはその理解度において意外といい線行っていたという岡﨑氏の所説が坂田の作品によって説得力をもって観者に差し出されていて、見応えがありすぎる。

 

・「天覧美術」展(6.2〜12 KUNST ARZT)

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※出展作家:岡本光博(兼キュレーター)、木村了子、小泉明郎、鴫剛、藤井健仁

 詳細はこちらを参照されたいが、岡本光博氏が定期的に開催している「◯◯美術」シリーズがついにというべきか「天皇制」を俎上に乗せたことで関西では開催前から話題になっていたもの。とは言え天皇ないし天皇制それ自体を真っ向から政治的に俎上に乗せるのではなく、「描かれた天皇(制)」という側面が前面に押し出されているところに、岡本氏の絶妙なバランス感覚が存在していたのもまた、事実と言えば事実。そうすることによって、「天皇制」に対する別種の視座を遂行的に構築する、その端緒が垣間見えていたわけで(この展覧会の英語タイトルが「Art with Emperor」なのは、「with」という言葉が醸し出す微妙などっちつかず感もあって、なかなかに示唆的であろう)、その点にも要注目である。個人的には宮台真司氏が所蔵していることで知られる藤井健仁氏の作品(画像参照)を実際に見られたことがなかなか収穫だったものだが、他の出展作家も見ようによってはクリティカルな作品を多く出展しており、展覧会自体が異様な空気感を持っていたという点ではここ数年の中でもトップクラスであった。



・加賀城健展(9.19〜27 祇をん小西)

 
 
 
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 詳細はこちらを参照されたいが、染料が自然に布に染み込んでいった様子自体を作品化した新作の《Shimmering》シリーズが個人的にクリティカルヒット。日本においてはともするとメディウムや技巧の独自性や卓越性が自己目的化してしまうきらいのある現代工芸だが、そういった現代工芸の美質を損なうことなく思想やコンセプト(をめぐる諸問題)を直接的に俎上に乗せ、思考の位相における達成を見せていた──この展覧会においては「表現」と「無意識」との関係性をめぐる問いと考察が(加賀城氏が意図していたかどうかはさておき)露呈していたのだった──という点において、現代工芸からのファインアートへの越境という課題に対するハイレヴェルな回答となっていたわけで、それなりの期間にわたって加賀城氏の作品に接してきた者としても改めて刮目して見る機会となった。



・野中梓展(10.5〜10 Oギャラリーeyes)

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 近年、光と、光によるモティーフの表層の揺らぎを描くという方向に大きく舵を切っている野中梓女史だが、迎えた今年の個展では、その姿勢がさらに前面に出つつ、画面の方はますます禁欲的になっているわけで、一見すると茫洋かつ曖昧模糊とした表面を見せながらも、そこに描かれた時間の流れや作者と観者の知覚のうつろい、それらを描く/媒介するメディウムとして醸し出されてくる絵具の物質性などが渾然となっていて、いったん引き込まれるとすっかり見入ってしまう作品となっていた。ことに「ツルッとした冷蔵庫の表面に当たった弱い光」をモティーフにした小品(画像参照)は近年の野中女史におけるかかる絵画的動向の全てがガンギマリ状態になっていて、これはもう圧勝だなとおもうことしきり。この良さが分かるようになった己が眼を褒めたいと唸ることしか、もはやできないのだった。



・HUB IBARAKI ART PROJECT 2020(3.28〜9.13(途中中断期間あり) 茨木市各所)

 ※選出作家:永井寿郎

 ※チーフディレクター:山中俊広

 
 
 
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 写真家の永井寿郎氏を選出し「パブリックとプライベートの境界を考える」というテーマのもと、氏が茨木市各地に赴いて道路や私有地にドローイングを描いて撮影するという形で進行していった今年のHUB IBARAKI ART PROJECT。昨年に続いて「アートと公共性」という問題系に直接切り込んでいたのだが、以上のような行為を所有者との交渉を経た上で全て「合法的に」行なうことで、作品やパフォーマンスが行なわれる場自体がパブリックとプライベートがまだら状になっていることを明るみに出していたことになり、アート(あるいはより広く、人間の営み全般)と公共性との関係性をモデリングする上で非常に慧眼であったと言えるだろう。折からのコロナ禍によって人々の「プライベート」が「パブリック」へと裏返され、直接的な政治的統治(「三密を避けよう」とか)や経済的開発(「Go To トラベル」とか)の対象となったさなかに開催されたことにも要注目。数あるアートプロジェクトの中でも、現実の事象や推移とここまで「「「過剰にシンクロしてしまった」」」ものは、後にも先にもなかなかあるまい。



・「もうひとつの日本美術史──近現代版画の名作2020」展(9.19〜11.23 和歌山県立近代美術館)

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 明治時代以後現代に至る日本の版画史を通史として紹介するというこの展覧会、いかに個別性の高いジャンルであっても「通史」として展示すること自体近年ますます難しくなってきている中にあって例外的に蛮勇が振るわれた展覧会であったと言えるだろう。これは学芸員たちの功を素直に讃えるべき。日本において版画というと、かつて現代美術として一世を風靡していた時代があった…と過去形で語られて久しいのだが、この展覧会においては明治以後の版画をめぐる諸動向を丁寧に展示して関係づけることで、版画が絵画でも商業印刷でもない独自のアイデンティティを確立しようとしていく過程と、それが一定の達成を見せて1960年代の「版画ブーム」に結実し、そこからゆるやかに拡散していく──井田照一(1942〜2006)が「版画はその頃、芸術でも反芸術でもなかった」と発言していたことが思い出される──過程とが作品を通じて語られていたわけで、版画について不勉強な者としても美術史における巨大なミッシングリンクの一端に触れられる良い機会となった。

 

・今道由教展(7.13〜18 Oギャラリーeyes)

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 詳細はこちらを参照されたいが、1990年代からミニマリズムのフォーマットにのっとりつつ、主に平面において独自の考察を続けている今道由教(1967〜)氏、近年はこのOギャラリーeyesでの個展がその考察の経過発表の場となっているのだが、今年はトレーシングペーパーに縞模様を(模様を構成する二色を表と裏に分離して)印刷し折っていくという小品が中心だった。「絵画における視覚的な図像と物質的な支持体との関係に着目し、支持体としてのの両面性を活かしながら、支持体そのものへ物理的に働きかけることから生まれる表現を探って」いると作者自身が語っている通りの作品だったわけだが、半透明の紙を支持体に用い、表と裏というファクターを巧みに導入することで、絵画空間のようなものをこれまで以上にリテラルに作り出していたわけで、これまでの考察からさらに大きく飛躍していたことに瞠目しきり。

 

・新平誠洙「PAINKILLER」展(12.11〜20 KUNST ARZT)

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 instagramにアップロードされている絵画の画像を具象・抽象・イラストレーションの別なく適当にチョイスし、それをモティーフにして改めて描いた絵画作品が出展されていた(画像参照)が、そのような手法を取ることによって自身のオリジナリティに縛られがちな自身を相対化することが企図されており、それとは違った絵画のあり方/ありようを模索していたわけで、その意味で「PAINKILLER」という展覧会タイトルは言い得て妙であると言えよう。ところで、当たり前のことながら、instagramからチョイスされた作品は正方形となっているのだが、多くの画像においては絵画の全景が収まっておらず部分的に切られた状態になっており、そこになにがしかの暴力の痕跡が見えているのが興味深かった。絵画における正方形というサイズは昔からあるのだが、instagramの正方形はそれとは異質であることをどこかで予感させるものとなっており、ともすると流通する画像の量に注目が行きがちなinstagram論に対する介入としても、きわめてアクチュアルかつクリティカルであった。

 

ズガ・コーサクとクリ・エイト 二人展

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 新長田にあるcity gallery 2320で9月12〜27日に開催されたズガ・コーサクとクリ・エイト 二人展を見てきました。2009年に結成された謎の二人組ユニットなズガ・コーサクとクリ・エイト*1の新作個展。二人はこれまで主に神戸市やその周辺で新作を発表するたびに関西のアートシーンでいろいろ話題になっており、個人的にその盛名は以前から聞き及んでいましたが、実作に接するのは初めてでして(爆)。


 さておき、そんな二人の作風は、街かどにある風景をダンボールなどの故紙や廃物を用いて展示空間内に1/1スケールでムリヤリ再現するというもの*2。実際、これまでの展覧会では裏道や工事現場、川原、果ては城(←さすがにこれは1/1とはいかなかったようですが)まで作っているとのことですが、今回は展示スペース内に1/1神戸市バスとバス停のある風景をオブジェ+インスタレーションという形で作っていました。下町によくある二階建ての民家を改装してギャラリースペースとしているcity gallery 2320のことですから、もちろんスペース内に1/1市バスがまるまる再現できるはずはなく、ダンボールでオブジェ化されているのはバスの後ろ半分であとは壁に描かれているわけですが、それでもオブジェ部は座席やタイヤなどもダンボールを駆使して実物大で再現されている。そして二階のスペースにはバスとバス停の屋根がはみ出すように作られており、省略してもよさそうなところまでもキッチリと作りこんでいたわけで、「1/1で作ること」が意外と徹底されていたと言えるでしょう。ほかにも壁面に描かれた風景が透視図法にかなりの程度従って描かれているなど──実際、作品に接していると、ギャラリーの人に二人はここからの視点で風景を描いたんですとインスタレーション内の一角を案内されたのでした──、いくらでも避けられるところを避けずに作った形跡が見出されるのでした。展示空間内に廃物を使って1/1スケールで風景をムリヤリ再現するというのは、どうしても勢いと出オチ任せのおもしろアート感が漂ってくるものですが(後日、別のギャラリスト氏から聞いたのですが、二人とも関西におけるこの手の出オチ系アートの大物的存在だった堀尾貞治(1939〜2018)の弟子だったそうだから、なおさらである)、二人の作品はおもしろアートにしてもクオリティというか説得力のレベルが違っており、見入ってしまうことしきり。


 しかしその一方で、より仔細に見てみると、単なる出オチ任せのおもしろアートで済まされない要素が見出されるのもまた、事実と言えば事実。ことにそれはこのインスタレーションに横溢している空間感覚に顕著である。上述したように、今回制作された1/1神戸市バスとバス停のある風景はオブジェも壁画も透視図法に従って配置されるように作られ描かれておりまして、その意味では三次元に拡張された絵画と言ってもあながち的外れではなさげなのですが、実際には展示空間との兼ね合いでかかる視覚的秩序に厳密に従っていないところもまだら状に存在している。もそのこと自体をこのインスタレーションについて考察し評価する上で瑕疵とはせずに、視覚的秩序の(部分的な)破綻も作品に織り込まれていること自体をポジティヴに読み直すことが、二人の仕事を読み解く際に、二人の仕事の創造性を解放する際に求められているのではないだろうか。


 ところで先日twitterのタイムラインをだらだら見てましたら、建築or建築史の研究者とおぼしき人のツイートが目に入りまして、それは桂離宮の一角にある東屋(松琴亭)と庭について呟かれていたのですが……

 

 
 ──松琴亭の特徴的なフォルムを「ノンスケール、ノンパースペクティブ」の所産であり「その場にある視覚情報以外の物質がもつ記号性や引用される物語・イメージなど、もろもろがすべて等価にミックスされていたはず」と読み解くここでの視点は、そのままズガ・コーサクとクリ・エイトの作品に対しても敷衍できるでしょう。二人の作品の場合、等価にミックスされるのは物語やイメージというよりも、街角の風景という現実性と遠近法的な「見え」にかかわる記号描写と、そして(これが最も重要なのですが)展示空間が本来的に持つ空間的な制約という、より唯物的で世知辛い要素なのですが、いずれにしましても、結果としてノンスケールでノンパースペクティブにせざるを得ない部分が、遠近法的描写の中に唐突に割り込んでくることの面白み──個人的にはとりわけ階段裏の面や室内にあるエアコン周りの処理の仕方のあまりの強引さに吹いてしまいました──の向こう側に、桂離宮に典型的に見られるような遠近法、より正確には西洋的な一点透視図法とは異なる世界認識の方法がうっすらとではあるものの垣間見えるわけで、そこに単なるおもしろアートにとどまらないクリティカルなものがあったように、個人的には思うことしきりなのでした。


 (追記)その後、この1/1神戸市バスは10月初頭に某幼稚園に移築されて再展示されたとのこと(一般には非公開)

 

*1:仄聞するところでは二人とも女性で、ユニット結成以前からソロ活動歴があるらしい。後日、二人のソロ活動時の作品画像を見たけど、全く異なる作風だった。

*2:一例として、2018年にCAPスタジオY3で開催された「仮の風景 あっパートII」展の記録サイトをあげておくhttps://www.cap-kobe.com/kobe_studio_y3/?p=2825