みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

当方的2021年展覧会ベスト10

 年末なので、当方が今年見に行った402の展覧会の中から、個人的に良かった展覧会を10選んでみました。例によって順不同です。


・HUB IBARAKI ART PROJECT 2021作品発表 黒田健太「今、ここで、立ち尽くすために -now, here, nowhere-」(2021.9.26 茨木市福祉文化会館)

 *選出作家:黒田健太

 *チーフディレクター:山中俊広

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 詳細はこちらを参照されたいが、今回の選出作家である黒田健太(1995〜)氏が茨木市の街中でセッションしたストリートミュージシャンやダンサーと協働して舞台を作っていく──というプロセスから想像されるようなありきたりさから、ダンサーとしての身振り=思考のメタファーとしてのダンス((C)アラン・バディウ)によって極限まで遠ざかっていった舞台作品となっていたわけで、「「アート」と「公共性」」という非常にありふれたテーマに対する介入・批評(そう、これは作品という形態を取った批評でもあったのである)としてブリリアントであったと言わなければならないだろう。それにしてもかような作品を輩出したHUB IBARAKI ART PROJECTが来年以降誰を選出しどのようなプロジェクトを展開していくことになるのか、黒田氏によってハードルが異常に高くなった感があるだけに、ますます気になるところではある。

 

・「No Man’s Land──陶芸の未来、未だ見ぬ地平の先」展(2021.3.20〜5.30 兵庫陶芸美術館

*出展作家:秋永邦洋、稲崎栄利子、かのうたかお、木野智史、金理有、谷穹、出和絵理、新里明士、林茂樹、増田敏也、松村淳、見附正康、山村幸則、若杉聖子、度會保浩

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 関西と東海・北陸で主に活動している若手〜中堅陶芸家を集めたグループ展といった趣だったこの展覧会。「No Man’s Land」というタイトルの含意以上に、ゼロ年代に活動を始めた作家を集めることによって、陶芸版平成美術展として(地域的な偏りはあるものの)意外と出来の良い展覧会となっていた。一般論として、工芸諸分野においてはゼロ年代から2010年代にかけて創作と受容、ファインアートとの関係の取り方をめぐる体制や作法などから作者が次第に自由になっていったのだが、とりわけ陶芸はこの間若手が活発にムーヴメントを牽引し(イケ⭐︎ヤンやへうげ十作など)、さらに──織部焼で今日にも名を残す古田織部(1543〜1615)を主人公にした山田芳裕氏のマンガ『へうげもの』のスマッシュヒットもあって──現在における若手の実践が歴史や伝統と地続きであることが狭い界隈を越えて可視化されたもので。そういった動きによってチャージされた現代陶芸の多様性と多産性を一望できる貴重な機会となったのだった。


・「堀尾昭子の現在」展(2021.9.19〜12.5 西脇市岡之山美術館

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 後期の具体美術協会に参加し、現在に至るまで半世紀以上にわたって創作活動を続けている堀尾昭子(1937〜)御大。この展覧会ではそんな御大がここ二、三年に制作した作品が数十点並んでいた。いずれも紙や木、アクリル、鏡などを素材とした極小のオブジェで、ムダを極限まで削ぎ落としたソリッドなものとなっており、極小ながらも見応えは無限にあるわけで。堀尾御大が美術家として世に出た頃はミニマルアートの勃興期に当たり、その後ミニマリズムやポストミニマリズムといった諸潮流が現代美術においてひとつのトレンドをなしていくのだが、御大の作品はそれらと並行しているような相貌を見せながらも、しかし微妙なズレをともなったものとしてあり続けてきたし、現在もそうであることが一見即解であった。最終日になんとか時間を作って見に行って大正解。

 

・「フェミニズムズ」展&「ぎこちない会話への対応策 第三波フェミニズムの視点で」展(2021.10.16〜2022.3.13 金沢21世紀美術館

 *「フェミニズムズ」展出展作家

青木千絵、遠藤麻衣、遠藤麻衣×百瀬文、風間サチコ、木村了子、森栄喜、西山美なコ、碓井ゆい、ユゥキユキ

 *「ぎこちない会話への対応策 第三波フェミニズムの視点で」展出展作家

岩根愛、木村友紀、小林耕平、さとうりさ、ミヨ・スティーブンス-ガンダーラ長島有里枝、潘逸舟、藤岡亜弥、ミヤギフトシ、渡辺豪

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 詳細はこちらを参照されたいが、もともとひとつの展覧会として企画されていたのが紆余曲折あって二本立てとなったそうで、どういう形であれ開催にまで辿り着けたのは、金沢21世紀美術館の館長が女性(長谷川祐子女史)だからか。それはともかく「フェミニズムズ」展においてはいわゆる〈第三波フェミニズム〉以後の現代日本におけるアート/フェミニズムの多様性と多産性を体現した作家と作品が、「ぎこちない会話への対応策」展ではその〈第三波フェミニズム〉の勃興期〜展開期における社会-文化運動論的な文脈と交差させられるような作家と作品が並んでおり、アート/フェミニズムを同時性と歴史性という形で複眼的に見ることができるように構成されていたのは、かかる紆余曲折の思わぬ副産物であったと言えるかもしれない。かかる同時性と歴史性によって、欧米のムーヴメントのカーボンコピーではない日本のフェミニズム史の可能性が(多くのフェミニストが未だに否認している中で)示されたことは後々効いてくるだろう。

 

・「It’s a small world 帝国の祭典と人間の展示」展(2021.2.6〜28 京都伝統産業ミュージアム

 *キュレーター:小原真史

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 1905年に大阪で開催された第五回内国勧業博覧会において、アイヌ民族沖縄県人、台湾や東南アジアなどの先住民族が「展示」されて物議を醸したという「人類館事件」については、文化人類学民族学界隈においてときおり俎上に乗せられているようであるが、この展覧会では小原氏が近年発見したという、その人類館において「展示」されていた人々の集合写真を軸に、氏が収集してきた19世紀以来の万博や世界各地の博覧会で発売されていた絵ハガキやポスターなどを加えて、「人間の展示」が当時植民地主義帝国主義の正当化のために広く行なわれていたことを示す展覧会となっていた。それを(京都での内国勧業博覧会のために整備された)岡崎公園内にある施設で行なうというのは、なかなかポイント高。特に第三共和制時代のフランスが万博を植民地主義の正当化のために大いに「活用」したのだが、そこではフランス革命以来の同国のレゾン・デタであった自由・平等・博愛や人権思想がそのまま帝国主義イデオロギーとなっていたわけで、そこにも目配せを効かせた大量の史料によって「人類館事件」が特殊日本的なものにとどまらない問題を孕んでいることを見せるものとなっていたことも特筆すべきだろう。

 

・「編集者 宮内嘉久──建築ジャーナリズムの戦後と廃墟からの想像力」展(2021.3.22〜5.1*1 京都工芸繊維大学美術工芸資料館)

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 『新建築』誌の編集者として出発し、その後フリーとなって多くの建築書を手がけた宮内嘉久(1926〜2009)。その彼が書籍編集の傍ら、1970〜79年(と2002〜2005年)に発行していたミニコミ誌「廃墟から」に注目した展覧会。この「廃墟から」は建築のことに限らず、論説や身辺雑記、彼が当時読んでいた様々な分野の本からの引用などと内容が多岐にわたっており、今風に言うとブログやオウンドメディアといった相貌を見せているのだが、会場で実際にいくつかの号を読んでみると「建築」と「建築批評」から「(来るべき)建築運動」を展望するためのアジテーションといった趣が強かった。現在の視点から見ると時代的な限界も当然あるのだが、宮内においては、来るべき建築運動を〈68年革命〉に使嗾されつつしかし「廃墟」というイメージから語らざるを得なかったという矛盾は、現在においてこそ全く解決されていないものとして正面から見据えられなければならないだろう。来るべき建築運動もおそらくどこかで目指していたであろう市民=国民という等式が崩壊して久しい状況(現在の戦後民主主義=リベラルが否認し続けているのは、端的にかかる状況である)においては、特にそうである──そのようなことを考えさせられる。

 

・「二つの時代の平面・絵画表現 泉茂と6名の現代作家展」(2021.10.9〜31 Yoshimi Arts, the three konohana)

 *出展作家:泉茂、今井俊介、上田良、加藤巧、佐藤克久、杉山卓朗、五月女哲平

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 詳細はこちらを参照されたいが、関西の美術館の常設展でだいたい一、二点展示されている(が、それ以上でもそれ以下でもない)前時代の画家というイメージが長年定着していた泉茂(1922〜95)の作品に対する解像度を高めていく試みをここ数年継続的に行なっていたYoshimi Artsとthe three konohanaが、周りの作家──それも、世代的に泉との同時代性や時代背景をほとんど共有していないような──を引き入れることで、ついに同時代の、現存作家としての泉茂という相貌を与えるに至ったことに、最初期からずっと両ギャラリーの試みを注視してきた者としては感慨深かった。「二つの時代」と銘打ってはいるものの、そこにあるのは紛れもなくひとつの平面・絵画精神であり、そのような「ひとつ」を圧倒的な理解力とクオリティで現出させた六人の出展作家の仕事には、当方も非常に勉強になったわけで。

 

・ミケル・バルセロ展(2021.3.20〜5.30*2 国立国際美術館

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 スペインの画家ミケル・バルセロ(1957〜)の、日本では初とな美術館での個展として開催されたこの展覧会。当方は彼のことを全く知らないで作品に接する形となったのだが、大画面に大量の絵具(や様々なメディウム)をぶちまけるパワープレイな絵画でありながら、随所に絵としてまとめ上げるセンスの良さ──それは、マリ共和国に構えたアトリエで現地の人々を描いたドローイングや、油絵具で塗りつぶされたカンヴァスに強酸性の液体でササっと描いたポートレートにおいてとりわけ際立っていた──が垣間見え、土着的で初期衝動が全開なプリミティヴィズム系の絵画が苦手な者でも「見られる」ものとなっていたことに驚くことしきり。同じプリミティヴィズムを志向していても日本人はおそらく彼のように描くことはできないのではないか。その意味で世界にはまだ見ぬ強豪がたくさんいるものだと瞠目させられた。

 

・「TANKING MACHINE REBIRTH 90年代のヤノベケンジ」展(2021.5.29〜7.19 MtK Contemporary Art)

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 ヤノベケンジ(1965〜)氏というと、1970年の大阪万博の体験とサブカルチャーの記憶などを重ねてみせた特異なオブジェ作品で関西の現代美術界隈にデビューしたことで知られるが、そんなヤノベ氏の90年代の仕事の中でも特筆大書すべきものとなっている《TANKING MACHINE》の再制作と、自作のガイガーカウンターつき防護服でチェルノブイリを訪問する《アトムスーツプロジェクト》&そこから派生した諸作品の再展示からなるこの展覧会。個人的にはゼロ年代初頭、まだ万博公園にあった頃の国立国際美術館でこれらの作品には接したことがあるのだが、現在の視点から見たとき《アトムスーツプロジェクト》が全く別様の相貌をもって現われたことに驚くことしきり。個人的な記憶と切迫感だけでもってチェルノブイリを訪ねるところまで行き着いたヤノベ氏のようには、おそらく現在の日本においてはできないだろうと思わされた──現在では、何らかの批評理念(「ダークツーリズム」とか)や政治的・倫理的正しさに「エンゲージ」した形跡を介在させないと、間違いなく炎上案件になってしまうから──わけで、この少し前に近くの京都市美術館で開催されていた「平成美術」展(2021.1.23〜4.11)以上に「平成」を感じさせるものとなっていたと言わなければならない。あの頃、世界は確かにら(flat)にっていたのである。

 

・荒木ゆう子「(scene)」展(2021.10.4〜16 gekilin.)


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 大阪で毎年開催されているUNKNOWN ASIAやグループ展などで着実にキャリアを積んできている様子の荒木ゆう子女史。この「(scene)」展はそんな彼女の初個展だったのだが、作品のクオリティやコンセプチュアルな精度が飛躍的に高まっていて瞠目。下地を作ったカンヴァスに鉛筆で花の輪郭線をドローイングしたあと、彼女自身が本当に必要だと感じた部分だけを残して作品とするという形で描かれていたのだが、その「本当に必要だと感じた部分」が、もはや元々何を描いていたのか一見して分からなくなるくらいまで省筆化されており、この大胆さには震撼しきり。実在の花から直観を頼りに〈(概念としての)花〉((C)世阿弥)を抽出しようとしているとも言える──実際、荒木女史は茶道を嗜んでいるという──のだが、ここまでくると、そういった(茶道・華道の文脈における)スピリチュアルなニュアンスが付与された〈花〉をも突き抜けた物質性・実在性を見る側に与えるものとなっていたわけで、初個展にしてここまでの達成を見せていたことに驚くばかり。

*1:緊急事態宣言のため、実際は4.26で終了

*2:緊急事態宣言のため、実際は4.24で終了

「フェミニズムズ」展+「ぎこちない会話への対応策 第三波フェミニズムの視点で」展

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 金沢21世紀美術館では2021.10.16〜2022.3.13の会期で〈フェミニズム〉をテーマにした二つの企画展「フェミニズムズ」展と「ぎこちない会話への対応策 第三波フェミニズムの視点で」展(以下「ぎこちない会話」展)が同時に開催されています。どちらもグループ展の体裁を取っており、とりわけ後者は1990年代にセルフポートレート写真を発表して一躍時の人となり、2020年に発売した著書『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で再び現代写真界隈に一石を投じた写真家の長島有里枝(1973〜)女史をゲストキュレーターに迎えている。かかる展覧会二本立てという構成を取ることで現代美術/現代アートフェミニズムとの関係を、アート×フェミニズムというカップリングを視野に入れつつ、現時点においてより複眼的に(再)考察することが目指されていると、さしあたっては言えるでしょう。


 ○「フェミニズムズ」展出展作家

青木千絵、遠藤麻衣、遠藤麻衣×百瀬文、風間サチコ、木村了子、森栄喜、西山美なコ、碓井ゆい、ユゥキユキ


 ○「ぎこちない会話への対応策 第三波フェミニズムの視点で」展出展作家

岩根愛、木村友紀、小林耕平、さとうりさ、ミヨ・スティーブンス-ガンダーラ長島有里枝、潘逸舟、藤岡亜弥、ミヤギフトシ、渡辺豪

 

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 《フェミニズムは1990年代以降、欧米の若い女性たちを中心にポピュラー文化と結びつき、メディアを通して広がっていきました。(中略)近年、フェミニズムは複数形で語られ始めました。世代や時代、所属する国家や民族、それぞれの環境や価値観によってフェミニズムの考え方や捉え方は異なります。複数形のフェミニズムが発するメッセージは、多様な考え方を認め合うことこそが社会にとって重要で必要だという視点です》──以上のような問題意識のもと、「フェミニズムズ」展ではゼロ年代〜2010年代に作家活動を始めた女性作家を中心にセレクトされています。その際「世代や時代、所属する国家や民族、それぞれの環境や価値観によってフェミニズムの考え方や捉え方は異なります」ということがひと目で即座に理解できるようなキャッチーな作品が多かったところに、この展覧会の独自性があると言えるでしょう。いくつか例をあげておきますと、青木千絵女史は漆芸で女性の身体を彷彿とさせる(が、全体的には不定型な)塊を作っていたし、木村了子女史はイケメンが躍動する様子を日本画として描いているし、ユゥキユキ女史は母親と編んだ毛糸を使って巨大なぬいぐるみ(中では二つの映像作品が上演されていた)を作っていたし、碓井ゆい女史は現在日本で使われている硬貨のデザインの中に今なお不可視化されている女性たちの労働を描きこんだ刺繍作品を出していたし、遠藤麻衣・百瀬文両女史は80分近い映像作品において二人で粘土をいじりながら「(男性/女性という対を決定的に逸脱する)来るべき性的生物」の可能性について語り合っていた。これらの作品に強く現われているように、「フェミニズムズ」展においては一見すると政治運動としてのフェミニズムから遠く離れているように見える作品が多く出ていたわけですが、しかしこれらの作品においては、より身近でありつつも、そうであるからこそ決定的な違和として彼女たちの前に現われたものごと──それは〈政治的〉なことというより、むしろ〈文化的〉かつセンシュアルでセンシティヴな領域におけるものごととして露呈する──を表現の出発点としている。かつて、というか今でも、政治・社会運動としてのフェミニズムは「個人的なことは政治的なことである」をスローガンとしていたものですが、ここにおいてはそのスローガンを軽くねじった「個人的なことは文化/政治的なことである」というべき態度が前面に押し出されているのでした。

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 かかる「ポピュラー文化と結びつき、メディアを通して広がってい」ったフェミニズム──それは現在においては(やや回顧的に)〈第三波フェミニズム〉と呼ばれ、「ぎこちない会話」展の方でよりヴィヴィッドに取り上げられることになるだろう(後述)──の象徴的存在として西山美なコ(1965〜)女史と彼女の作品が特権化されていることに注目する必要があるでしょう。「フェミニズムズ」展の出展作家中最年長であり、ただひとり1980年代から制作活動を続けている西山女史。金沢21世紀美術館では2010年に(当時「ニットの貴公子」というキャッチフレーズでテレビにしばしば出演していた)広瀬光治氏との二人展を開催しており、企画展への出展はそれ以来となっているようですが、今回は1990年代前半に大阪で開催した個展において行なったパフォーマンス&インスタレーションを、当時の素材を用いて再制作した作品が出展されています。このときの個展に際し西山女史は成人向け雑誌の広告欄に電話番号を掲載し、ピンクチラシやポケットティッシュも作るなどした上で会期中に擬似テレクラを開いていたという(今回は当時の実際の音声もスマホを介して聴くことができます(!))。西山女史といいますと、少女マンガに出てきそうなキャラクターや漫符、女の子向けおもちゃの外観などをモティーフにした平面やインスタレーション作品を同時期に作っており、近年は砂糖菓子でバラの花やティアラを作ったりピンクの壁画(たいていは会期終了後消される)を描いたりしていることで知られていますが、それらの作品において一貫しているのは、女性性、ひいては女性とは、キャラ、漫符、おもちゃ、砂糖菓子、バラ、ティアラ、ピンクチラシetcといった外的な諸事物のことであり、従ってその諸事物の表現の位相における関係性を変えることこそが(女性としての)自身の対自的な関係性を変えることであるという認識である。それを「典型的」であることや「過剰」であることを旨とする文化的な諸配置の中で生産された諸事物を使って、制作を通して遂行的に明らかにしているところに、彼女の作品の現在にも通ずる美質があるわけです。


 以上のように、「フェミニズムズ」展では、1980〜90年代以降における〈第三波フェミニズム〉あるいはそれ以後におけるアートとフェミニズムの交差・交接が豊かな多様性と多産性を現在進行形で見せていることが主題となっていたのですが、かかる観点から見たとき、「ぎこちない会話」展はどのように位置づけることができるのか。上述したように、写真家の長島有里枝女史をゲストキュレーターに迎えているこの展覧会では、ある歴史性を刻印された概念としての〈第三波フェミニズム〉が「フェミニズムズ」展以上に大きな主題となっているわけですが、彼女において〈第三波フェミニズム〉はさしあたり以下のように定義されている。


 第三波フェミニズム運動は、自らをフェミニストと名乗ることに戸惑いを持つ若い女性が多かったこと、表向きにはひとつの“運動”に見えなかったこと、文化的なアクティビティを通じて草の根的に繋がっていたことなどを特徴とし、「ガール」や「ビッチ」、「カント」などの女性蔑視的な言葉を自分に対して積極的に用いたり、女性らしい服装を自ら好んで身につけたりすることで、それらの持つネガティブな意味の解体を試みるなど、一見するとフェミニズムではなさそうな新しい手法をその実践に採用していた。また、あからさまな運動や政治活動の形態を取らずに、パンク・バンドとしての活動やスモール・パブリケーションの発行、アート製作などの方法でその運動が実践されたため、それがフェミニズム運動の一環であるという認識や合意が得られにくかったといえる。しかし、そのような運動の形態であったからこそ、一〇代や二〇代の若い女性たちに届きやすく、浸透しやすかったのではなかったか。(長島有里枝『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林、2020)、p371)


 ──長島女史において〈第三波フェミニズム〉とは、顕在化・可視化されない(「表向きにはひとつの“運動”に見えなかった」)が、潜在的には非-存在していた(「文化的なアクティビティを通じて草の根的に繋がっていた」)、言うなればムーヴメントならざるムーヴメントであったとされているのですが、そのような性格を持った動きを参照項としているこの「ぎこちない会話」展では、女性のみならず男性も出展作家に含まれており、その点において「フェミニズムズ」展と著しい対照をなしています。このことから見えてくるのは、「ぎこちない会話」展においては、この間の女性美術家による表現の多様性以上に、その多様性のアクチュアリティを担保して外的な諸構造・諸現実へと紐付ける一種のメタ言語(お好みなら「美術批評」と言い換えてもいいでしょう)が主題となっているということである。そう言えば『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』も、まさに自分自身を輩出した1990年代の写真界における、メタ言語としての写真批評において横行したジェンダーバイアスによる偏った理解というか誤解──その象徴的なキーワードとしての「女の子写真」の提唱者であった写真評論家の飯沢耕太郎氏への批判が、同書における重要なモーメントとなるだろう──が、彼女自身や同時期にデビューした女性写真家(HIROMIX蜷川実花など)をめぐる言説全般に見られた現象であったことに一貫してフォーカスが当てられていたのでした。従ってこの展覧会では個々の作品以上に、それらに通底する/それらを通底させる言説=アート/フェミニズムという対質の歴史性へとピントを合わせることが観者に要請されることになる(が、その手引きとなるはずの図録や記録集、論考集が発売されていなかったのは、いささかマズいのではないか(←追記:図録の発売が予定されているそうです))。


 ところで長島女史が上の引用文において「自らをフェミニストと名乗ることに戸惑いを持つ若い女性が多かった」「一見するとフェミニズムではなさそうな新しい手法」「あからさまな運動や政治活動の形態を取らずに」など、否定形を用いて〈第三波フェミニズム〉を語っていることは、きわめて徴候的であると考えられます。ここには日本における〈第三波フェミニズム〉が、それ以前の第一波・第二波フェミニズムからの発展として展開されたのではなく、むしろそれらと逆立する形で展開されていったことが遂行的に示されている。日本の場合、1960年代末からの第二波フェミニズムウーマン・リブ運動が連合赤軍事件──ウーマン・リブ運動の近傍にいたとおぼしき永田洋子(1945〜2011)が連合赤軍内で支配権を確立し、総括と称して女性メンバーも殺害した事件──に帰結したという歴史があるわけで、そのことが〈第三波フェミニズム〉の中で登場した世代をも強く規定し、独特の圏域を形成していったことは想像に難くない。実際、この事件(とその後における新旧問わない左翼諸党派によるいわゆる「内ゲバ」)は社会運動や政治活動への忌避感情の根拠として今日に至るまで日本の文化/政治の基礎をなしているわけですが、長島女史のかような語りもまた、そのような圏域の所在を裏側から指し示していると言えるでしょう。


 いずれにしても「フェミニズムズ」展においては多様性と同時多発性に、「ぎこちない会話」展においてはそれらの基盤となる運動論における歴史性にフォーカスすることによって、欧米の諸動向のカーボンコピーではない、日本のフェミニズムへと観者を使嗾させるものとなっていたところに、二つの展覧会の特筆大書すべきアクチュアリティがあったと言えるでしょう。まだ十分ではないところもあるとはいえ、別の美術史、別のアート/フェミニズム史への決定的な一歩が踏み出されたことを、まずは言祝ぎたいところです。

 

「2つの時代の平面・絵画表現 泉茂と6名の現代作家」展

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 Yoshimi Artsとthe three konohanaで10月9日〜31日に開催の「2つの時代の平面・絵画表現 泉茂と6名の現代作家」展を見てきました。戦後長く大阪の近現代美術において重きをなしたことで知られる画家泉茂(1922〜95)を軸に、両ギャラリーが選んだ6人の若手〜中堅の現代美術家とのグループ展となっています。


【今回の出展作家】

 ○Yoshimi Arts:泉茂、今井俊介(1978〜)、加藤巧(1984〜)、佐藤克久(1973〜)


 ○the three konohana:泉茂、上田良(1989〜)、杉山卓朗(1983〜)、五月女哲平(1980〜)


 1950年代に瑛九(1911〜60)率いるデモクラート美術協会に参加して主に版画を手がけてきたが60年に渡米後は抽象絵画を制作の主軸とするようになり、帰国後は大阪芸大で後進の育成に当たりながら時々に応じて作風を変化させつつ独自の画業を展開し続けた泉茂──Yoshimi Artsとthe three konohanaは2017年に初めて共同で回顧展を開催して以来、折に触れてほぼ毎年泉の(未発表のものを含む)作品による企画展を開催してきましたが、迎えた今年は泉の作品と、泉のことを直接には知らない世代の美術家の作品とを並列して見せるという方向に大きく舵を切っています。それもただ漫然と並べるのではなく、事前にギャラリストと出展作家たちがミーティングを重ね、彼/彼女たちがとりわけ興味を持った泉の作品と、この展覧会のために制作した新作とを一緒に展示するというものとなっておりまして、観者は泉の作品と出展作家の作品、そして双方の関係性を敷衍した上で出展作家たちの──泉に対する見識を通した──絵画鑑をも視野に収めながら見ることになる。


 以下、各出展作家について、泉の作品との関係に焦点を当てながら簡潔にメモしておきます。

 

 ○今井俊介氏

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 旗がはためいている様子を容易に想起させるような絵画作品でブレイクし、近作ではさらに発展して、複数のストライプや色面がランダムに折り重なっているような絵画作品を集中的に描いている今井氏。関西では作品に接する機会がなかなかないので、貴重な機会となっています。今回は泉が渡米を経てフランスに滞在していた時代に描いた絵画作品二点と自作の大作と小品の絵画二点を並べていました。泉はアメリカ〜フランスに滞在していた時期(1960年代)、筆で即興的に描いたドローイングの一部分を拡大してトリミングし、改めて精密に模写するという手法で抽象絵画を多く制作していましたが、今井氏の作品もまた、大作の絵画が小品の絵画の一部分を拡大して描かれていたことに顕著なように、泉の手法を上手く自作に変換して描き出している。


 ○上田良女史

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 加納俊輔氏、迫鉄平氏とのユニット「THE COPY TRAVELERS」のメンバーとしても知られる上田女史は、ソロ活動においては複数の要素を相互の異質性を強調するように重ねて作ったオブジェを浅い被写界深度で撮影した写真作品を多く手がけています。今回はそうして撮影した写真作品と、泉が80年代後半〜晩年に多く手がけた雲形定規をテンプレとして自在に用いたドローイングとを並べて出展。帰国後、それまで幾何学的フォルムが突出した作風だったのが、デモクラート時代のような抒情を描く作風に再び回帰したことで当時驚きをもって迎えられたであろう泉のレイトスタイルにおいては、描くことと見つけることとが極端に近接している──「作ること」よりも「見つけること」が重要だと、泉は繰り返し述べていたといいます──のですが、上田女史による「見つけられた」ものたちが乱舞するオブジェの写真は、そういった泉のレイトスタイル(これをどう位置づけるかについては、今後の研究が待たれます)との並行性を強く意識させる。


 ○加藤巧氏

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 テンペラやフレスコといった中世ヨーロッパにおける絵画技法を現在において再起動させたことに顕著なように、一枚の絵画を成り立たせる要素(支持体、絵具、技法etc)を材料や歴史性のレベルにまでいったん細かく解体しそれを再構築して描く──絵画は、そこでは事後的に「一枚の絵画」に総合された複数の流れとして再定義される──ことを長く続けている加藤氏は、今井氏と同じくフランス時代の泉の作品と自作を向かい合わせに展示していました。近年の加藤氏は「一枚の絵画」に事後的に総合していく運動に内在する、絵画史にとどまらない歴史性を自らの手によって開放していく方向へと軸足を移動させており、それは豊穣な成果を生み出しつつあるのですが、加藤氏が選んだ泉の作品は(今井氏が選んだものよりも)よりストロークが強調されたドローイングを精密に模写したものであり、そのような作品を選んだところに、加藤氏自身の仕事との類縁性がはっきりと見出されていると言えるかもしれません。それは、泉の作品が版画であり、「改めて描く」ことによる間接性がさらに累乗していることで、さらに強調されるだろう。


 ○佐藤克久氏

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 当方は今回初めて作品に接したのですが、主に名古屋をホームにして活動しているという佐藤氏も、加藤氏同様、泉の(70年代の)版画作品をチョイスして自作と並べていました。モノクロームが多いこの時期の作品としては珍しくカラフルな相貌を見せていますが、同時に幾何学的形象の探求に没頭していたころの作風もよく反映されている。そのような作品と、やはりカラフルでありつつ形象へのフォルマリスティックな意識が際立った自作を並べたことで、出展作家の中でも泉とのシンクロ率の高さという点では後で触れる杉山卓朗氏と双璧だったと言えるかもしれません。それはとりわけ泉との並行性を改めて見出したからということで出された2007年の作品も出展されていた(今回、出展作家の中で発表後10年以上経った旧作も出したのは佐藤氏だけでした)ことで、さらに際立っています。結果として、泉の作品もまた佐藤氏の作品のように見えたのでした(驚)。


 ○杉山卓朗氏

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 PC上で生成した形態のパターンをモティーフにした絵画を描き続けている杉山氏。今回は泉が1966〜69年に集中的に制作しながら習作だったこともあって数年前まで未発表だったドローイングと自作を並べて出展しています。それは上述したアメリカ〜フランス滞在時代の作風と、帰国後(当時最新のツールだったエアブラシを得たことでさらに)全面化するであろう幾何学的形象への探求が突出していく作風との言わば端境期に当たる。かような、当時の泉における制作の新展開を予感させる作品を選んだあたりに、杉山氏の慧眼が見出されます。以前から杉山氏の作品はモティーフやそこから受ける印象、さらには方法論的なレベルに至るまで泉茂っぽいと当方の周囲では言われてきており、いつかどこかで並んで見る機会があればいいなぁと思うことしきりだったものですが、今回の展覧会によって時を経て実現したことになるわけで、ゼロ年代から杉山氏の作品に接してきた者としては感慨ひとしおでした。


 ○五月女哲平

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 今井氏同様関西では作品に接する機会がなかなかないため、今回は貴重な機会となった五月女氏ですが、一見すると単純な幾何学的形象を描くことに特化しているように見えつつも実際には絵画内の諸要素が繊細な手つきで関係づけられているような作品を手がけていることで知られています。そんな五月女氏が選んだ泉の作品はアルミ板に刷られた版画作品でした。よく知られているように、70〜80年代の泉はエアブラシを使ってメタリックでモノクロームな質感と色彩感をともなって円形や三角形といったプライマルな形象を描いていきますが、この版画作品もまたそのような時期の泉の関心が非常に強く反映されたものであると言えるでしょう。70〜80年代の泉においては形象への関心が突出しているように見えつつも、形象を歪ませたり様々な線と絡めたりするなど、同時代のいわゆるミニマルアート/ミニマリズムの潮流と較べてより細やかな探究の軌跡が見出されますが(そのあたりについても今後の研究が待たれます)、そこにも五月女氏との並行性が見出されるでしょう。


 ──以上6名の作品が二箇所に分かれて展示されていたわけですが、一見して明らかなように、6名とも泉の作品に対する理解度が非常に高かったことにまずは注目する必要があるでしょう。結果として泉の作品だけが突出して目立つのではなく、泉の作品も6名の出展作家の作品も同じレベルにおいて見られるものとなっていました。上述したように、それは佐藤克久氏のコーナーで顕著だったのですが、いかに事前の作家選定の折に抽象画家、それも絵画における「形象を描くこと」への考察を画業の出発点/到達点としている傾向性を持つ抽象画家たちをメインにしたであろうことが一目瞭然で、泉とある程度(絵画)史的バックグラウンドを共有しているとはいえ──だからかかる並びに上田良女史が入っていることが個人的にはかなり意外でしたし、しかし出展作の力によって納得もさせられたのでした──、泉の作品に内在していた/しているものを思いもよらない形で提示しえていたことは間違いない。結果として私たちは泉の作品を過去のマスターピースとして以上に現在の作品として見ることになり、現存作家としての泉茂という不思議な位相において改めて刮目して見ることになったのでした。


 「2つの時代の絵画表現」というタイトルながら、そこにおいて現われていたのは、紛れもなく過去と現在(と未来)に通底するひとつの精神であり、で、このひとつの精神は絵画を唯一性のもとに終結/閉止させることに抵抗するものとしての「ひとつ」である。それを作品とコンセプチュアルに周到なケアのもとに提示していたところに、この展覧会のアクチュアリティがあると言えるでしょう。

HUB IBARAKI ART PROJECT 2021

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 黒田健太(1995〜)氏が選定作家となった今年のHUB IBARAKI ART PROJECT(以下HUB IBARAKI)。そのメイン企画である舞台公演 《now, here, nowhere 今、ここで、立ち尽くすために》(以下《今、ここで、立ち尽くすために》)が2021年9月26日に茨木市福祉文化会館で行なわれ、当方は1回目、13:00からの回とアフタートークを見てきました。京都を中心にコンテンポラリーダンサーとして活動しているという黒田氏ですが、今年のHUB IBARAKIのメインは氏が茨木市内各所に出向いて路上や公園、広場などでストリートミュージシャンやダンサー、ジャグラーたちに声をかけて突発的にセッションを行ない、そこでピックアップした彼/彼女たちと会期の最終日に舞台公演が行なうというもの。で、そこに数回にわたる公開リハーサルや各種の小規模なワークショップが付随していたそうです。


 さておき、実際の舞台はといいますと、明確なストーリーと呼べるものはなく、舞台に上げられた出演者たちの普段通りの実践がかわるがわる再演されたあと、そこに黒田氏のダンスや出演者たちの掛け合いがジャムセッションのように展開されるというものでした。時間が進むにつれて、それらは断片化・抽象化の度合いを増していくのですが、少なくとも上述したような黒田氏の、そして出演者たちの茨木市での体験や日常、彼/彼女たちが見てきた/見ているであろうヴィジョンが素材として大きな要素を占めていたことは間違いなく、それらを舞台の上で即興的・ジャンル横断的に(リ)ミックスして見せていくことに主眼が置かれていたわけですね。その意味では今回の《今、ここで、立ち尽くすために》は、純粋なコンテンポラリーダンス(純粋なコンテンポラリーダンス?)というよりは、ピナ・バウシュ(1940〜2009)がヴッパータール舞踊団において提唱・実践していたTanztheater(ダンス+劇)に、あるいは古橋悌二(1960〜95)が健在だった頃のダムタイプが行なっていた舞台作品に、フォルムとしてはかなり近かったと言えるのではないでしょうか。


 かかるジャンル分けや類例、先行例についてはともかくとして、ここで重要なのは、HUB IBARAKIにおいて、山中俊広(1975〜)氏がチーフディレクターになってから押し出されている「パブリックとプライベートの境界を考える」というテーマと、あるいは〈公共性〉をめぐるアート(いわゆるSocially Engaged Art)の実践と重ね合わせてみることでしょう。今年のHUB IBARAKIは「パブリックとプライベートの境界を考える」をさらに一歩進めた「パブリックとプライベートの接点「ストリート」を拡張する」をメインテーマに掲げており、実際それはこの《今、ここで、立ち尽くすために》において「ストリート系」と肯定的にも否定的にも名指しされる存在たちをプロアマ問わず舞台に上げて作品を作るというところに最も端的に表現されているわけですが、かような観点から見たとき、どのようなことが言えるのか──結論から言いますと、私たちはここにおいて〈公共性〉概念をめぐる別種の思考と実践、さらには(演じられることが遂行的に行なう)批評を目撃したと言わなければならないでしょう。言い換えるなら、「パブリックとプライベートの接点」としての「「ストリート」を拡張する」ということを、一方をもう一方に還元するとこととも、双方を安直に野合[コラボレーション]させることとも違った所作においてなされたということである。


 それはこの作品が、他の様々な要素を織り込みつつも、まさにダンス/Tanztheaterを枢要としていることに、如実に現われています。ポスト構造主義以後のフランス現代思想界の大立者として知られるアラン・バディウ(1936〜)はそのダンス論「思考のメタファーとしてのダンス」(『思考する芸術 非美学への手引き』(坂口周輔訳、水声社2021)所収)において、ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』において発した箴言「飛ぶことを学ぶ者は大地に新しい名を与えるだろう」を用いつつ、ダンスを〈演劇の反対物〉と定義しています。《ダンスと演劇とのあいだには、本質的な対立があるのだ》というわけですね。ではその対立線は、バディウにおいてどのように顕在化されるのか──かいつまんで言いますと、それはダンスによって新たな「名」を与えられる「大地」をめぐって、そして双方の演者における身体性の違いをめぐって顕在化される。どういうことか。


 「思考のメタファーとしてのダンス」に添いつつもう少し詳しく見ていきますと、ダンスと演劇の最も大きな違いをバディウは身体の匿名性の有無に見出しています《場所に出来するような、切迫性のなかで自らを空間化するようなダンスする身体は身体-思考であり、誰かでは決してない。(略)ダンスする身体は一人の登場人物、あるいは一つの特異性を模倣することはない。それは何も形象化しないのだ》。つまり誰か/何かの模倣であるか否かが演劇の身体とダンスの身体を分かつ要素となるわけですね。そして匿名の身体がダンスする場もまた必然的に匿名のものとなるだろう。従ってバディウにおいて演劇はテクスト=戯曲や俳優の身体に拠る限り、大地や身体の匿名性から離れた営為であるとされるのですが、〈公共性〉が古代ギリシアの時代からほかならぬその演劇としてあるいは演劇の比喩のもとに定義されてきたこと、それゆえ匿名の、誰か/何かの模倣ではないような身体が一貫して埒外に置かれてきたことを考えたとき、私たちはバディウに導かれつつ、従来の〈公共性〉とは似て非なる〈ダンス的公共性〉というべきものについて考える端緒を得ることになるでしょう。


 そう、ダンスとはまさしく踊られる度に、身体が大地に与える新たな名である。だがどんな新たな名も最後のものではない。絶えず行われることで、様々な真理の前-名の身体的呈示であるダンスは大地を再び名づけるのだ。

 

 ──上述したように、(ニーチェ→)バディウにおいてダンスはそれによって「大地に新しい名を与える」行為であるとされているのですが、しかしそれはただ一度の行為ではなく、絶えず行なわれ、「再び名づけ」られるものである。しかもそれは「様々な真理」と紐づけられる。バディウは昔から(フランスにおける「68年革命」に導かれるように)真理をただ一つのモノではなく偶発的な出来事として取り扱っている。従って「偶発的」である限りにおいて、真理は「一つ=唯一性」を減算された「n-1」((C)ドゥルーズ)個の出来事として現われることになるだろう。そしてそのような出来事=様々な真理の、まさに「様々」にかかわるのがダンスであるとされるわけですね。してみると、〈ダンス的な公共性〉と従前の〈公共性〉とを分かつクリティカルポイントは、この(ドゥルーズ→)バディウにおける「-1」に見出されることになります。


 以上のような角度から改めて《今、ここで、立ち尽くすために》に戻りますと、茨木市各所で自然発生的に行なわれているストリートミュージシャンやダンサーの諸行為を改めて舞台に乗せている点において、また彼/彼女たちと黒田氏の出会いが偶発的であることにおいて〈ダンス的な公共性〉を思考/志向していることはたやすく見て取れるでしょう。しかし黒田氏はここでより周到に構成していたことを大急ぎで指摘しなければならない。特にそれは本編の後半において映像が投影され、そこで黒田氏が最初に行なった二人のストリートダンサーとのジャムセッションの模様が収録されていたところに、如実に現われている──阪急南茨木駅のコンコースで行なわれたこのセッションで黒田氏と二人は意気投合したように見えつつ、しかしこのあと現在に至るまで双方の再会はないのでした。今回の作品が一見するとアートの外側で「自然発生的に」行なわれている諸表現を舞台にあげることによって「多様性」を担保しているという、いわゆるsocially engaged artにありがちな(そして「政治的に」「正しい」とされる)所作を反復しているように見えつつしかし決定的に袂を分かっているのは、まさにこの出来事が黒田氏における「-1」としてあることが観客にも見て取れるところにある。多数の「n」が舞台上で自由闊達に自己表現を開花させていることと同時に、黒田氏の「-1」が、それらを可能にする条件として同時に前面化している。上述したように《今、ここで、立ち尽くすために》には特定のストーリーというものは(少なくとも、明示的に演じられるようなものとしては)ないのですが、全体を構成しているのは、この「n-1」の構造であるわけです。


 「忘れていく人の顔や流れていく路上の景色に、どうにかして再び出会いたい」(公演前に出された黒田氏によるマニフェストより)──このとき「今、ここで、立ち尽くす」ことは、単なる行為の停止ではなく、それ自体が「-1」として「大地に新しい名を与える行為」となり、もって〈ダンス的な公共性〉へと差し向けられる新たなダンスとなるでしょう。少なくとも、その可能性の萌芽が示されていたところに、《今、ここで、立ち尽くすために》の特筆大書すべき美質がある。

 

中小路萌美「境界のかたち」展

 
 
 
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 西天満にあるOギャラリーeyesで4月12日〜24日に開催の中小路萌美「境界のかたち」展を見てきました。関西や東海地方を中心に精力的に活動している中小路萌美(1988〜)女史、近年はだいたいこの時期にこのOギャラリーeyesで個展を開催していますが、昨年はコロナ禍の影響もあって小品展の開催にとどまったため、新作を揃えた個展は二年ぶりとなります。


 さておき、今回は大小十点の絵画が出展されていました。デビュー以来、中小路女史の絵画は、風景画から抜き出された諸要素を改めて配置し直すという形で描かれており、それは今回も同様でした《私は実際に見た風景を元に何十層と色を重ねながらかたちを再構成し、見たことのない色やかたちを生み出そうとしています。例えば家や木がある風景であれば、まずキャンバス上に風景をそのまま描き、次にその家や木のかたちとかたちを合体、分解、回転させます。すると徐々に意味を持たなくなった色とかたちが反応し、むにゃむにゃとしたものが生まれ、まるでいのちを得たかの様にあちこちへと動き始めるのです》*1。つまり中小路女史の絵画は一見すると抽象画のように見えますし、実際そうなのですが、しかしそれを構成する要素はかかるプロセスによって得られた実在する/したものに由来しているわけで、その意味でメタ風景画というべきものとなっている。従って、抽象画といっても、具象的なものごとから完全に解離している(あるいはそうあることが目指されている)というわけではなく、コラージュ的に描かれた構成要素が以上のようなプロセスを経て改めて見出され使われていることで、どこか私たちの生きている生活世界との接点が残されているように見えるわけです。その意味で彼女の抽象画は、その歴史の中で蓄積されてきたであろうような、生活世界から解離され還元された形態や色彩の存在感やせめぎ合いをそのまま見せること──巷間、抽象画が意味不明なものとして受け取られてしまうのは、かような行為が広く共有されていないことに起因すると言えるでしょう──とは違った方向性を志向していると言えるでしょう。


 このとき、中小路女史が以上のようなプロセスによって見出されたものを〈むにゃむにゃしたもの〉と呼んでいることは、彼女の作品について考える際に非常に重要である。今回の展覧会に際して出されたステイトメントの中で中小路女史はこも〈むにゃむにゃしたもの〉について次のように述べています。

 

 絵の中のかたちは風景が元になっており、きっぱりとした直線やうねうねした曲線、もやのようなものと様々です。私はこれを「むにゃむにゃしたもの」と呼んでいます。このむにゃむにゃしたものは沢山の再構成を繰り返して生まれたものですが、風景の中にあった形そのものが変化しただけではなく、余白みたいなものが混ざっています。


 風景を一箇所からみると遠くのものも近くのものも同時に見えてはいるけれど、本当はそれぞれがはるか彼方にあって、その距離をぎゅっと圧縮した時に滲み出るなにか、それが「余白」であり、言い換えるなら間(あわい)のようなものでしょうか。*2

 
 〈むにゃむにゃしたもの〉とは「風景の中にあった形そのもの」が「沢山の再構成を繰り返して生まれたもの」だが、そこには常に「余白」が混じっている。そしてその「余白」とは風景の中にあるものが「その距離をぎゅっと圧縮した時に滲み出るなにか」である──中小路女史自身によるかような〈むにゃむにゃしたもの〉の定義は、彼女自身の絵画の説明であると同時に、それを更新する可能性をも含んでいるように、個人的には思うところ。これまでの中小路女史の絵画は、彼女が見た風景を構成要素としていることが如実に示しているように、「私は世界-内的存在である」ということを出発点としているのですが、今回の「境界のかたち」展において「余白」の存在がクローズアップされたことで、「風景の中にあった形そのもの」から要素を得て描くことが新たな形で改めて選び取られているわけです《私が静物や人物といった別のモチーフでは大きさや距離が足りないと感じていたのはこうした理由かもしれません。余白が足りないのです》。このとき、そこに「余白」が加わることで、彼女の絵画には自身の内的世界に対する剰余が描き込まれることになるだろう。そのような要素を描き加えるようになったところに、これまでの画業に対する自己批評と新展開を見出すことができるかもしれません。


 この〈むにゃむにゃしたもの〉を「余白」を含み込んだものとして考え直すとき、そこでは絵画における「空間(性)」、とりわけ絵画空間内における「図」と「地」の関係性が問題になっていると読み替えることができるでしょう。〈むにゃむにゃしたもの〉という言葉はその語感において不定形な何かを見る側に予感させ、図と地の関係性を単一ののっぺりとした「地」が複数の「図」を支えて共存させるという静的なものではなく、「地」と「図」双方が相互貫入的に影響しあうような動的な関係に置き直すことをも予感させる──ところでかかる中小路女史のプログラムの射程について考える上で、岡﨑乾二郎氏による坂田一男論は多くの示唆を与えるものとなっています。自身がキュレーションを行なった「坂田一男 捲土重来」展に寄せた論考の中で、岡﨑氏は坂田がフランスで直面し、帰国後もそれへの回答として自身の表現を独自に洗練させていった問題系について、次のように述べています。

 

今日に至るまで、通俗的モダニズム絵画のルーティンはニュートラル空間(多くは白色の余白)の提示にあり、そのニュートラルな空間を基底にして、その上に複数の形態、異質なオブジェが、ときに整合的にときにランダムに浮遊するように配置される、あるいはそれぞれの形態が透明に重なりあっているかのように表されるというものでした。(略)つまりこの基底に置かれたニュートラルな空間(平面)には、互いに異質ないかなる事物でも置くことができ、並存させることができる。つまり基底になる空間(平面)と、その上に浮遊するさまざまな図=事物は論理的な階層が別である。図は交換可能であるけれども空間はあらかじめ一義的に決定されていて変わることはないのです。図は下位レベルであり、空間(平面)は上位レベルにある。


坂田の絵画の向かっていた方向はまったく異なりました。ニュートラルだとみなされてしまいがちな絵画の平面を単一なものとみなさず、潜在的に異なる質をもった複数の平面があると認め、それを実体として扱う。すなわち同じ平面の上で異質な事物を遭遇させ並存させるのではなく、異なる複数の平面が同時にそこにあるとみなし、それを遭遇、並存させることこそが目指されていたのです。*3

 
 「絵画の平面を単一なものとみなさず、潜在的に異なる質をもった複数の平面があると認め、それを実体として扱う」ところに坂田の絵画の特質があると岡﨑氏は述べているわけですが、ここまで見てきたように、中小路女史の「余白」は(岡﨑氏における)坂田の問題意識と確実に呼応しつつ、その先をも見据えている──「異なる複数の平面」を「異なる」ものたらしめる要素とは何か、そしてそれを画面に描き込むことは可能なのかという疑問にいかに応答するかという問いである。「余白」と〈むにゃむにゃしたもの〉が重要なのは、かかる問いを含んだ位相においてであるわけです。


 ある時期以降、中小路女史の絵画は明確にこの問いを含んだものへと移行しています。つまり、風景画の中の要素によるコラージュが「互いに異質ないかなる事物でも置くことができ、並存させることができる」ものであることをやめ、「異なる複数の平面が同時にそこにあるとみなし、それを遭遇、並存させること」へと明確に方針が変わっている──その転換がいつなのかを特定することは難しいのですが、管見の限り、それは「図」にも「地」にも筆触が明確に現われるようになったときに、かかる転換がなされたと見ることができます《すべてのかたちは等しく、フラットになることが私の絵では重要です》*4。この「すべてのかたち」が「地」を含みこんでおり、それを可能にする因子こそが「余白」であることは、何度でも指摘されるべきでしょう。結果として中小路女史の作品はモダニズム/抽象芸術が潜在的に持っている動的な関係性への指向を改めて問題化していることによって、モダニズム/抽象芸術の問題意識を正当に受け継いでいる。

 

 

 

 

 

*1:引用元→ https://cheerforart.jp/detail/1512

*2:中小路萌美ステイトメントより

http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/2021/2021-4nm/2021-4nm.html

*3:岡﨑乾二郎「捲土重来 再起する絵画(絵画の変容そして勝利)」

*4:中小路[2021]