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流転の好事家あたしかの公開備忘録

松平莉奈《聖母子》について

 
 
 
 
 
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A post shared by Rina Matsudaira 松平莉奈 (@matsudairarina)

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 森ノ宮にある大阪カテドラル聖マリア大聖堂(以下、玉造教会)で2月5〜7日の三日間だけ開催された松平莉奈女史の新作《聖母子》の展覧会を見てきました。京都を中心に、新世代の日本画家の一人として個展やグループ展──とりわけ同世代の日本画家たちによるユニット「景聴園」での活動が際立っていることは、ここで特筆されるべきでしょう──様々な形で活動している松平莉奈(1989〜)女史ですが、大阪での個展は管見の限り初めてでして。当方は初日の午前中に見に行きまして、松平女史と歓談しながら作品に接することができました。記して感謝申し上げます。

 

 さておき、今回の《聖母子》、そのタイトルから一見即解なように、聖母マリアが幼いイエス・キリストを抱いているという、西洋絵画ではあまりにもおなじみの画題が、教会の祭壇画に非常によく見られる三幅対の形式で描かれています。真ん中に聖母子、左側に花鳥、右側に現代人の衆生たちが描かれており、古典的な画題の中に現代人を登場させつつ違和感なく構成して見せる松平女史お得意の画風がいかんなく発揮されているのですが、しかしこの絵において最も異彩を放っているのは、その聖母マリアが仏像のような相貌をもって描かれていることである。もともとこの《聖母子》は、長崎県諫早市にあるという天祐寺なる寺院からの依頼で描いたものだそうで、この展覧会のあとほどなくして同寺の所蔵となるとのこと。仏教寺院からの依頼で描かれた作品がいかなる経緯で今回大阪におけるカトリックの中心である(らしい)玉造教会にて展示されることになったのかは詳しくは分かりませんが、シンクレティズムの相貌をともなって描かれた《聖母子》がほかならぬカトリック教会で展示されたことの意義はきわめて大きいと言わなければならないでしょう。玉造教会には堂本印象(1891〜1975)が描いた巨大な聖母子像──和服姿の聖母子に(同教会が顕彰している)細川ガラシャ高山右近がかしづいているというもの──があることで知られているそうですが、広い礼拝堂の入口付近に置かれた《聖母子》は、そんな堂本の筆による聖母子像とサイズの大小こそ違え対峙する形になっていたわけで、これはここで見てこそ真価を発揮する作品だなぁと思うことしきりでしたし、松平女史の画業について見ていく上でも、今後マスターピースになるのではないでしょうか。

 

 ──いささか先走り過ぎたので、もう少し細かく見ていきましょう。今回の依頼主である天祐寺の住職氏はこの《聖母子》を発案した契機について次のように述べている。

 

もしもヨーロッパ、もしくは日本で仏教が禁止さてて[←ママ]いたならば、おそらく仏教徒は聖母を観音菩薩として拝んだであろうという仮定から始まりました。

聖母像、観音像に通底する原初の聖性によって宗教の枠組みを超えようとする試みです*1

 

 つまり《聖母子》においては聖母マリア観音菩薩の姿を取って描かれていることになるわけですが、このことは、禁教令が敷かれていた江戸時代において隠れキリシタンたちが観音像の形をした聖母像──いわゆる「マリア観音」──を礼拝することで信仰を維持したという、日本史の教科書にも書かれているエピソードを思い起こさせます。もっとも、かかる教科書的な「マリア観音」という言い方は明らかに非信者目線での言い方であるのもまた事実ではあり、そのような教科書的な言い方から離れて、聖母マリア観音菩薩を同列に見出した隠れキリシタンたちの行為を仏教/キリスト教双方の信者目線で改めて主題化し、そこに信仰心を再-賦活しようという試みが天祐寺側にあったことは、ここで強調されるべきでしょう。したがって、「マリア観音」には、聖母マリア観音菩薩の中に見出すという精神的なベクトルと、逆に観音菩薩の中に聖母マリアを見出すという精神的なベクトルが同時に存在していることになります(仏教において、観音菩薩は(男性/女性のような)様々な対立を越えた存在として定義されることが多いと言われています)。この二重の運動によって「聖母像、観音像に通底する原初の聖性」が見出され、それが絵として現働化しているのが、この《聖母子》であるわけです。そしてさらに、近世以降の長崎という場における宗教的な風土がさらなるレイヤーとして重ねられる──近世の長崎では仏教徒隠れキリシタンは意外と混住しており、時として仏教寺院が隠れキリシタンを保護する場面もあったという。そのような歴史的な記憶にも見る側を使嗾させつつ、この絵は存在している。

 

 以上のように、《聖母子》は観音菩薩の姿を取って聖母マリアを描くことで、宗教性あるいは諸宗教「に通底する原初の聖性」を絵において/絵によって遡及的に構成していくことが企図されているわけですが、ところで松平女史においてかかる「絵において/絵によって遡及的に構成していくこと」は、彼女における〈日本画〉というジャンル自体の問題としてもあることに注目する必要があります。画家であり、近年「パープルーム」という運動体を率いていることでも知られている梅津庸一氏は彼女(や「景聴園」)の活動について《日本画の起源を求めて歴史の古層にタッチするような試みであり、日本画を超えて東洋画のコアににじり寄ろうとしているように映る》と述べていますが*2、〈日本画〉というジャンルそれ自体の制度性──明治時代(特に日露戦争以後)において、前近代にあった諸流派から相対的に断絶したものとして、とりわけ欧米から導入された油絵との対比において想像/創造されたものであることが論じられて久しい現在、松平女史の試みは、そうして想像/創造された〈日本画〉をもう一度歴史に着地させようという試みとして記述することができる。松平女史は制作活動の傍ら、江戸時代における様々な流派の粉本を模写するという活動を続けています(その活動の成果は一昨年の個展「うつしのならひ」展*3に結実している)が、模写という行為を通して、さらに言うと描くことと思考することが一致するように模写を行なうことで、「歴史の古層にタッチ」しようとしていると言えるでしょう。

 

 《聖母子》においてなされているのは、諸宗教に通底する原初の聖性を絵において/絵によって遡及的に構成していくことのみならず、前近代からの断絶として始まった〈日本画〉を「歴史の古層にタッチする」=歴史に再び着地させようとする試みであり、そして今回の場合、宗教画という相貌をまとうことで、画題の趣味嗜好を超えたアクチュアリティを帯びている。この作品が松平女史のマスターピースになるであろうというのは、かような位相においてなのです。

 

*1:https://twitter.com/daiyutetsujo/status/1488491152773103616?s=20&t=Qp94TscJE9o_9DyODdXPKw

*2:梅津庸一「台頭する日本画の正統とフラジャイル・モダン第二世代──京都絵画シーンをめぐって」(『美術手帖』2020年12月号所収)

*3:2020.11.16〜22 ロームシアター京都1階プロムナード