当方的2022年展覧会ベスト10
年末なので、当方が今年見に行った484の展覧会の中から、個人的に良かった展覧会を10選んでみました。例によって順不同です。
・「ミニマル/コンセプチュアル ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」展(2022.1.22〜3.13、愛知県立美術館)
*出展作家:カール・アンドレ、ダン・フレイヴィン、ソル・ルウィット、ベルント&ヒラ・ベッヒャー、ハンネ・ダルボーフェン、河原温、ロバート・ライマン、ゲルハルト・リヒター、ブリンキー・パレルモ、ダニエル・ビュレン、リチャード・アートシュワーガー、マルセル・ブロータース、ローター・バウムガルテン、リチャード・ロング、スタンリー・ブラウン、ヤン・ディベッツ、ブルース・ナウマン、ギルバート&ジョージ(ギルバート・ブロッシュ+ジョージ・パサモア)
1960年代から70年代にかけて主にアメリカで大きなムーヴメントとなったミニマルアートやコンセプチュアルアートだが、それをほぼ同時期にヨーロッパに紹介する役割を果たしたギャラリストのドロテ・フィッシャーとコンラート・フィッシャー夫妻に焦点を当てた展覧会。作品のみならず資料も豊富に展示することで、これらのムーヴメントの単なる紹介者にとどまらない重要な伴走者としてフィッシャー夫妻(と、彼/彼女が画廊を構えたデュッセルドルフという場所)の特異性を改めて浮き彫りにしており、ある意味見慣れた作品群に対する解像度を上げつつ別の側面にも開いてみせていたのは、普通にポイント高。
・庵野秀明展(2022.4.16〜6.19、あべのハルカス美術館)
『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』etc.といった作品の監督として、アニメや特撮といったジャンルにおいて圧倒的な存在感を見せ続けている庵野秀明(1960〜)氏という異能存在を軸にして、戦後日本の文化史の一断面を極端な形で見せるという意欲的な展覧会。庵野氏のライフヒストリーを追う中で氏が接してきた(であろう)文物たちと氏が作ってきた映像作品などをとりあえず並べて見せるという構成はベタではあるのだが、その人自身の人生があるジャンルやカルチャーの消長と端的に一致しているかのように見えてくるところに庵野氏の魅力と怖さがある──その意味で氏の存在は映画における淀川長治(1909〜98)やジャズにおけるマイルス・デイヴィス(1926〜91)と比せられるかもしれない──のだが、その現在をシャープに提示する試みとしてなかなかよくできていた。
・「没後50年 吉原治良の小宇宙」展(2022.7.30〜12.18、兵庫県立美術館)
今年は吉原治良(1905〜72)の没後50年ということで、彼が総帥として君臨した具体美術協会についても、彼のもとに参集した作家の個展も含めて盛んに展覧会が開催されていたのだが、その中でも最近兵庫県立美術館に寄贈されたという下描きやドローイングなどからなるこの展覧会は「小宇宙」というタイトルにふさわしい小品中心の構成ながら、吉原のあまり見えてこなかった側面に光を当てるものとなっていた。ことに具体結成前夜の昭和20年代に描かれたドローイングは、その前後の作品にない洒脱さがあって、個人的に驚き。半年近い会期が設定されていたことで、岡本太郎展(2022.7.23〜10.2、大阪中之島美術館)や「すべて未知の世界へ──GUTAI 分化と統合」展(2022.10.23〜2023.1.9、国立国際美術館・大阪中之島美術館)、さらには李禹煥展(2022.12.13〜2023.2.12、兵庫県立美術館)とも並べて見る機会があったことも重要。特に岡本太郎との関係は(二人が一時期同じ二科会にいたこともあって)、今後の研究や批評が待たれるところ。いつぞやの「小磯良平と吉原治良」展(2018.3.24〜5.27、兵庫県立美術館)のように企画展に結実すれば良いのだが。
・「BACK TO 1972 50年前の現代美術へ」展(2022.10.8〜12.11、西宮市大谷記念美術館)
西宮市大谷記念美術館が開館したのが1972年ということで、その1972年に制作された作品や当時の記録写真などを集めて1972年の日本・現代・美術界隈の状況を見せ直すという、ありそうでなかなかなかった好企画。1972年は吉原治良の急逝によって具体美術協会が解散したことで関西では激震が走った年として記憶されているのだが(同展では、その具体がオランダで開催しようとしていたアートフェス関連の資料や吉原の絶筆が展示されていた)、そのことにとどまらない様々な新しい動きも勃興していた──ことに京都市美術館で開催された京都ビエンナーレは、〈もの派〉や〈日本概念派〉の梁山泊状態だったことが、残された記録写真からも窺い知ることができる──ことにもきめ細かく目配せが効いており、個人的には勉強になった。特にこの時期の版画作品が多く展示されていたのは、「かつて版画ブームというものがあったらしい」という形でしかこのジャンルに接することしかできなかった者としては、視野の欠落を認識させて補うにあまりあり、眼福。
・「生誕100年 清水九兵衞/六兵衞」展(2022.7.30〜9.25、京都国立近代美術館)
京焼の大名跡である清水六兵衞の名を継いだ七代清水六兵衞(1922〜2006)は1970年代以降清水九兵衛と名乗って金属による立体作品を多く手掛けることになるが、その双方にまたがった回顧展となったこの展覧会は、陶芸と彫刻→立体、工芸とファインアートの双方に引き裂かれながら屹立する、依然として問題含みな存在としての清水九兵衞/六兵衞の仕事を提示する良い機会となっていた。ことに近年それまで工芸に属するとされてきた諸ジャンルがそのままでファインアート扱いされることが増えており、そのような動きによってチャージされた創造性が最も開花しているのが(現代)陶芸なのだが、その現代陶芸と立体とにわたって展開していった清水九兵衞/六兵衞の創作の軌跡は、かかる工芸/ファインアートの関係性が変貌する前夜において双方にまたがって活動することの困難や戦略性(〈affinity〉(親和)は、その戦略の一端を示している)を垣間見せるものとなっており、一見すると工芸vsファインアートという問題構制が雲散霧消したかに見える現在において、逆にアクチュアルであると言えるだろう。
・松平莉奈「聖母子」展(2022.2.5〜7、大阪カテドラル聖マリア大聖堂)
詳細はこちらを参照されたいが、アートと宗教性ないし信仰との関係性という古くてなお新しい問題構制に対してそのような切り口があったかと瞠目したもので。もとは長崎県にある天祐寺からの依頼で描かれたそうだが、禁教令下においても信仰を守り続けたキリシタンたちが聖母と観音菩薩とを同一線上に見出したことから出発して、特定の宗教に還元されない原初の聖性を描き出すという試みがこのような作品に結実し、さらに大阪におけるカトリック信仰の中心地である大阪カテドラル聖マリア大聖堂に展示されたことの意義は大きいと言わなければならないだろう。で、そこに松平女史が近年精力的に行なっている「「日本画」を歴史に再び着地させようとする試み」が重ねられていることにも要注目。ところでこの聖堂には堂本印象(1891〜1975)が描いた、聖母子にかしずく高山右近と細川ガラシャが描かれた巨大な絵画があるのだが、そんな作品と対峙するように置かれてちゃんと拮抗・均衡しえていたわけで、松平女史のマスターピースにこのような形で接することができたのも、個人的に意義深かった。
・オノユウコ「GARDEN」展(2022.5.27〜6.7、アトリエ三月)
アートと宗教性ないし信仰との関係性という古くてなお新しい問題構制に対してそのような切り口があったかと瞠目したもので(二回目)。一見してわかるように、異世界における異教の教会絵画といった趣を見る側に抱かせるような作品なのだが、中世におけるカトリック的な、そのカトリックによって早くに異端とされた東方の初期キリスト教的な、ゾロアスター教のような古代オリエントの諸宗教的な……──といった雑多な図像が渾然となっていたわけで、このシンクレティズムぶりをそのままキャラクターアートの文脈に持ち込んで提示するという力技(そう、これはまさに力技と呼ぶにふさわしい行為なのである)には本当に驚かされた次第。信仰を架空の宗教に仮託するという行為自体はありふれているし、現在ではそれは「中二病」「厨二病」と呼ばれていたりもするものだが、そのような行為を突き詰めつつしかしシンクレティズムとキャラクターアートに落としこんで見せるところに、オノ女史の慧眼と信仰心的な切迫感とが同時に現われており、スリリングな鑑賞体験となったのだった。
・「わたしはメモリー」展(2022.12.15〜25、京都市美術館 別館)
*出展作家:秦野良夫、小原美鶴、似里力、西澤彰、三原厳、森川大輔、小幡正雄
*キュレーター:寺岡海(art space co-jin)
近年、京都や大阪ではいわゆる「障害者アート」を、「障害者」をカッコに括った「アート」として(再)提示する試みが散発的に出てきており、それは従前の「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」といったフレームと違った視点から見直すことを鑑賞者に要請するものとなっているのだが、京都においてこういった試みの一翼を担っている様子のart space co-jinの企画によるこの展覧会は、出展している障害者たちのライフヒストリーやバックグラウンドなども込みで見せることで、「障害者」をカッコに括った「アート」として提示していたわけで、現時点における「障害者アート」を見直す試みのひとつの良き達成となっていた。ことに聴覚障害者として生き、60歳を過ぎてから自身の人生経験を描くようになった三原巌(1932〜2021)の作品に瞠目。ある障害者の戦前〜戦中〜戦後が描かれていたことで、「わたしはメモリー」という展覧会タイトルを端的に象徴していたし、戦時中、聴覚障害者は手話を禁じられていたことを、彼の作品によって初めて知ったのだった。
・tsubasa.「TSUBASAISM」展&「ONE OF EACH」展(2022.3.18〜4.3、アトリエ三月)
*「ONE OF EACH」展出展作家:tsubasa.、maaco、HARUN、中島麦、女と男 ワダちゃん、四星球 まさやん、儀間建太、トミタ栞
関西のあちこちでライヴペインティングを行なうことでキャリアを積んできたtsubasa.氏。「TSUBASAISM」展はそんな氏の新作絵画が、「ONE OF EACH」展は氏の画業10周年記念ということで知人たちに声をかけて作品を作ってもらったトリビュート展だった。タブローにおける今後の飛躍にさらに期待が持てるものとなっていた「TSUBASAISM」展はもちろん、「ONE OF EACH」展の出来の良さに驚くことしきり。アーティストのみならず俳優やバンドマン、果ては吉本所属の芸人まで出展していたわけで、tsubasa.氏の交友関係の広さもさることながら、大阪における文化的な基底現実とその現在とを、アートに限らない形で提示するものとなっており、氏がどこまで意識的だったかは分からないものの、キュレーションとして非常に上手かった。本職の(?)キュレーターもこのくらいできないといけない。いずれにしても、この展覧会に接してからだと「関西の80年代」展(2022.6.18〜8.21、兵庫県立美術館)もさらに解像度を高めた状態で接することができたわけで。
・林真衣展(2022.11.7〜12、Oギャラリーeyes)
以前から昭和時代の住宅にまま見られた型板ガラスを通して見た/反射した光(景)を描き続けている林真衣女史。窓ガラスとそこに映ったこちら側と向こう側を描くという態度によって画面における光のありようは複雑になり、その複雑さを抽象画として描くところに林女史の眼目があるのだが、そこに様々な紋様が施された型板ガラスのレイヤーが加わることで、抽象画でもあるとともに紋様が持つデザインによって絵画史やデザイン史に不意にアクセスされることになるわけで、そのあたりに特筆大書すべき美質があると言えるだろう。今回の場合、油絵具を薄めに溶いて描くことで画面にさらに別の薄い物質性が加わることで画面はさらに渾然となり、しかし単純なカオスにならないで抽象画として成立しており、そういうところに林女史の実力のほどがうかがえる。