みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

HUB IBARAKI ART PROJECT 2021

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 黒田健太(1995〜)氏が選定作家となった今年のHUB IBARAKI ART PROJECT(以下HUB IBARAKI)。そのメイン企画である舞台公演 《now, here, nowhere 今、ここで、立ち尽くすために》(以下《今、ここで、立ち尽くすために》)が2021年9月26日に茨木市福祉文化会館で行なわれ、当方は1回目、13:00からの回とアフタートークを見てきました。京都を中心にコンテンポラリーダンサーとして活動しているという黒田氏ですが、今年のHUB IBARAKIのメインは氏が茨木市内各所に出向いて路上や公園、広場などでストリートミュージシャンやダンサー、ジャグラーたちに声をかけて突発的にセッションを行ない、そこでピックアップした彼/彼女たちと会期の最終日に舞台公演が行なうというもの。で、そこに数回にわたる公開リハーサルや各種の小規模なワークショップが付随していたそうです。


 さておき、実際の舞台はといいますと、明確なストーリーと呼べるものはなく、舞台に上げられた出演者たちの普段通りの実践がかわるがわる再演されたあと、そこに黒田氏のダンスや出演者たちの掛け合いがジャムセッションのように展開されるというものでした。時間が進むにつれて、それらは断片化・抽象化の度合いを増していくのですが、少なくとも上述したような黒田氏の、そして出演者たちの茨木市での体験や日常、彼/彼女たちが見てきた/見ているであろうヴィジョンが素材として大きな要素を占めていたことは間違いなく、それらを舞台の上で即興的・ジャンル横断的に(リ)ミックスして見せていくことに主眼が置かれていたわけですね。その意味では今回の《今、ここで、立ち尽くすために》は、純粋なコンテンポラリーダンス(純粋なコンテンポラリーダンス?)というよりは、ピナ・バウシュ(1940〜2009)がヴッパータール舞踊団において提唱・実践していたTanztheater(ダンス+劇)に、あるいは古橋悌二(1960〜95)が健在だった頃のダムタイプが行なっていた舞台作品に、フォルムとしてはかなり近かったと言えるのではないでしょうか。


 かかるジャンル分けや類例、先行例についてはともかくとして、ここで重要なのは、HUB IBARAKIにおいて、山中俊広(1975〜)氏がチーフディレクターになってから押し出されている「パブリックとプライベートの境界を考える」というテーマと、あるいは〈公共性〉をめぐるアート(いわゆるSocially Engaged Art)の実践と重ね合わせてみることでしょう。今年のHUB IBARAKIは「パブリックとプライベートの境界を考える」をさらに一歩進めた「パブリックとプライベートの接点「ストリート」を拡張する」をメインテーマに掲げており、実際それはこの《今、ここで、立ち尽くすために》において「ストリート系」と肯定的にも否定的にも名指しされる存在たちをプロアマ問わず舞台に上げて作品を作るというところに最も端的に表現されているわけですが、かような観点から見たとき、どのようなことが言えるのか──結論から言いますと、私たちはここにおいて〈公共性〉概念をめぐる別種の思考と実践、さらには(演じられることが遂行的に行なう)批評を目撃したと言わなければならないでしょう。言い換えるなら、「パブリックとプライベートの接点」としての「「ストリート」を拡張する」ということを、一方をもう一方に還元するとこととも、双方を安直に野合[コラボレーション]させることとも違った所作においてなされたということである。


 それはこの作品が、他の様々な要素を織り込みつつも、まさにダンス/Tanztheaterを枢要としていることに、如実に現われています。ポスト構造主義以後のフランス現代思想界の大立者として知られるアラン・バディウ(1936〜)はそのダンス論「思考のメタファーとしてのダンス」(『思考する芸術 非美学への手引き』(坂口周輔訳、水声社2021)所収)において、ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』において発した箴言「飛ぶことを学ぶ者は大地に新しい名を与えるだろう」を用いつつ、ダンスを〈演劇の反対物〉と定義しています。《ダンスと演劇とのあいだには、本質的な対立があるのだ》というわけですね。ではその対立線は、バディウにおいてどのように顕在化されるのか──かいつまんで言いますと、それはダンスによって新たな「名」を与えられる「大地」をめぐって、そして双方の演者における身体性の違いをめぐって顕在化される。どういうことか。


 「思考のメタファーとしてのダンス」に添いつつもう少し詳しく見ていきますと、ダンスと演劇の最も大きな違いをバディウは身体の匿名性の有無に見出しています《場所に出来するような、切迫性のなかで自らを空間化するようなダンスする身体は身体-思考であり、誰かでは決してない。(略)ダンスする身体は一人の登場人物、あるいは一つの特異性を模倣することはない。それは何も形象化しないのだ》。つまり誰か/何かの模倣であるか否かが演劇の身体とダンスの身体を分かつ要素となるわけですね。そして匿名の身体がダンスする場もまた必然的に匿名のものとなるだろう。従ってバディウにおいて演劇はテクスト=戯曲や俳優の身体に拠る限り、大地や身体の匿名性から離れた営為であるとされるのですが、〈公共性〉が古代ギリシアの時代からほかならぬその演劇としてあるいは演劇の比喩のもとに定義されてきたこと、それゆえ匿名の、誰か/何かの模倣ではないような身体が一貫して埒外に置かれてきたことを考えたとき、私たちはバディウに導かれつつ、従来の〈公共性〉とは似て非なる〈ダンス的公共性〉というべきものについて考える端緒を得ることになるでしょう。


 そう、ダンスとはまさしく踊られる度に、身体が大地に与える新たな名である。だがどんな新たな名も最後のものではない。絶えず行われることで、様々な真理の前-名の身体的呈示であるダンスは大地を再び名づけるのだ。

 

 ──上述したように、(ニーチェ→)バディウにおいてダンスはそれによって「大地に新しい名を与える」行為であるとされているのですが、しかしそれはただ一度の行為ではなく、絶えず行なわれ、「再び名づけ」られるものである。しかもそれは「様々な真理」と紐づけられる。バディウは昔から(フランスにおける「68年革命」に導かれるように)真理をただ一つのモノではなく偶発的な出来事として取り扱っている。従って「偶発的」である限りにおいて、真理は「一つ=唯一性」を減算された「n-1」((C)ドゥルーズ)個の出来事として現われることになるだろう。そしてそのような出来事=様々な真理の、まさに「様々」にかかわるのがダンスであるとされるわけですね。してみると、〈ダンス的な公共性〉と従前の〈公共性〉とを分かつクリティカルポイントは、この(ドゥルーズ→)バディウにおける「-1」に見出されることになります。


 以上のような角度から改めて《今、ここで、立ち尽くすために》に戻りますと、茨木市各所で自然発生的に行なわれているストリートミュージシャンやダンサーの諸行為を改めて舞台に乗せている点において、また彼/彼女たちと黒田氏の出会いが偶発的であることにおいて〈ダンス的な公共性〉を思考/志向していることはたやすく見て取れるでしょう。しかし黒田氏はここでより周到に構成していたことを大急ぎで指摘しなければならない。特にそれは本編の後半において映像が投影され、そこで黒田氏が最初に行なった二人のストリートダンサーとのジャムセッションの模様が収録されていたところに、如実に現われている──阪急南茨木駅のコンコースで行なわれたこのセッションで黒田氏と二人は意気投合したように見えつつ、しかしこのあと現在に至るまで双方の再会はないのでした。今回の作品が一見するとアートの外側で「自然発生的に」行なわれている諸表現を舞台にあげることによって「多様性」を担保しているという、いわゆるsocially engaged artにありがちな(そして「政治的に」「正しい」とされる)所作を反復しているように見えつつしかし決定的に袂を分かっているのは、まさにこの出来事が黒田氏における「-1」としてあることが観客にも見て取れるところにある。多数の「n」が舞台上で自由闊達に自己表現を開花させていることと同時に、黒田氏の「-1」が、それらを可能にする条件として同時に前面化している。上述したように《今、ここで、立ち尽くすために》には特定のストーリーというものは(少なくとも、明示的に演じられるようなものとしては)ないのですが、全体を構成しているのは、この「n-1」の構造であるわけです。


 「忘れていく人の顔や流れていく路上の景色に、どうにかして再び出会いたい」(公演前に出された黒田氏によるマニフェストより)──このとき「今、ここで、立ち尽くす」ことは、単なる行為の停止ではなく、それ自体が「-1」として「大地に新しい名を与える行為」となり、もって〈ダンス的な公共性〉へと差し向けられる新たなダンスとなるでしょう。少なくとも、その可能性の萌芽が示されていたところに、《今、ここで、立ち尽くすために》の特筆大書すべき美質がある。