みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

「2つの時代の平面・絵画表現 泉茂と6名の現代作家」展

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 Yoshimi Artsとthe three konohanaで10月9日〜31日に開催の「2つの時代の平面・絵画表現 泉茂と6名の現代作家」展を見てきました。戦後長く大阪の近現代美術において重きをなしたことで知られる画家泉茂(1922〜95)を軸に、両ギャラリーが選んだ6人の若手〜中堅の現代美術家とのグループ展となっています。


【今回の出展作家】

 ○Yoshimi Arts:泉茂、今井俊介(1978〜)、加藤巧(1984〜)、佐藤克久(1973〜)


 ○the three konohana:泉茂、上田良(1989〜)、杉山卓朗(1983〜)、五月女哲平(1980〜)


 1950年代に瑛九(1911〜60)率いるデモクラート美術協会に参加して主に版画を手がけてきたが60年に渡米後は抽象絵画を制作の主軸とするようになり、帰国後は大阪芸大で後進の育成に当たりながら時々に応じて作風を変化させつつ独自の画業を展開し続けた泉茂──Yoshimi Artsとthe three konohanaは2017年に初めて共同で回顧展を開催して以来、折に触れてほぼ毎年泉の(未発表のものを含む)作品による企画展を開催してきましたが、迎えた今年は泉の作品と、泉のことを直接には知らない世代の美術家の作品とを並列して見せるという方向に大きく舵を切っています。それもただ漫然と並べるのではなく、事前にギャラリストと出展作家たちがミーティングを重ね、彼/彼女たちがとりわけ興味を持った泉の作品と、この展覧会のために制作した新作とを一緒に展示するというものとなっておりまして、観者は泉の作品と出展作家の作品、そして双方の関係性を敷衍した上で出展作家たちの──泉に対する見識を通した──絵画鑑をも視野に収めながら見ることになる。


 以下、各出展作家について、泉の作品との関係に焦点を当てながら簡潔にメモしておきます。

 

 ○今井俊介氏

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 旗がはためいている様子を容易に想起させるような絵画作品でブレイクし、近作ではさらに発展して、複数のストライプや色面がランダムに折り重なっているような絵画作品を集中的に描いている今井氏。関西では作品に接する機会がなかなかないので、貴重な機会となっています。今回は泉が渡米を経てフランスに滞在していた時代に描いた絵画作品二点と自作の大作と小品の絵画二点を並べていました。泉はアメリカ〜フランスに滞在していた時期(1960年代)、筆で即興的に描いたドローイングの一部分を拡大してトリミングし、改めて精密に模写するという手法で抽象絵画を多く制作していましたが、今井氏の作品もまた、大作の絵画が小品の絵画の一部分を拡大して描かれていたことに顕著なように、泉の手法を上手く自作に変換して描き出している。


 ○上田良女史

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 加納俊輔氏、迫鉄平氏とのユニット「THE COPY TRAVELERS」のメンバーとしても知られる上田女史は、ソロ活動においては複数の要素を相互の異質性を強調するように重ねて作ったオブジェを浅い被写界深度で撮影した写真作品を多く手がけています。今回はそうして撮影した写真作品と、泉が80年代後半〜晩年に多く手がけた雲形定規をテンプレとして自在に用いたドローイングとを並べて出展。帰国後、それまで幾何学的フォルムが突出した作風だったのが、デモクラート時代のような抒情を描く作風に再び回帰したことで当時驚きをもって迎えられたであろう泉のレイトスタイルにおいては、描くことと見つけることとが極端に近接している──「作ること」よりも「見つけること」が重要だと、泉は繰り返し述べていたといいます──のですが、上田女史による「見つけられた」ものたちが乱舞するオブジェの写真は、そういった泉のレイトスタイル(これをどう位置づけるかについては、今後の研究が待たれます)との並行性を強く意識させる。


 ○加藤巧氏

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 テンペラやフレスコといった中世ヨーロッパにおける絵画技法を現在において再起動させたことに顕著なように、一枚の絵画を成り立たせる要素(支持体、絵具、技法etc)を材料や歴史性のレベルにまでいったん細かく解体しそれを再構築して描く──絵画は、そこでは事後的に「一枚の絵画」に総合された複数の流れとして再定義される──ことを長く続けている加藤氏は、今井氏と同じくフランス時代の泉の作品と自作を向かい合わせに展示していました。近年の加藤氏は「一枚の絵画」に事後的に総合していく運動に内在する、絵画史にとどまらない歴史性を自らの手によって開放していく方向へと軸足を移動させており、それは豊穣な成果を生み出しつつあるのですが、加藤氏が選んだ泉の作品は(今井氏が選んだものよりも)よりストロークが強調されたドローイングを精密に模写したものであり、そのような作品を選んだところに、加藤氏自身の仕事との類縁性がはっきりと見出されていると言えるかもしれません。それは、泉の作品が版画であり、「改めて描く」ことによる間接性がさらに累乗していることで、さらに強調されるだろう。


 ○佐藤克久氏

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 当方は今回初めて作品に接したのですが、主に名古屋をホームにして活動しているという佐藤氏も、加藤氏同様、泉の(70年代の)版画作品をチョイスして自作と並べていました。モノクロームが多いこの時期の作品としては珍しくカラフルな相貌を見せていますが、同時に幾何学的形象の探求に没頭していたころの作風もよく反映されている。そのような作品と、やはりカラフルでありつつ形象へのフォルマリスティックな意識が際立った自作を並べたことで、出展作家の中でも泉とのシンクロ率の高さという点では後で触れる杉山卓朗氏と双璧だったと言えるかもしれません。それはとりわけ泉との並行性を改めて見出したからということで出された2007年の作品も出展されていた(今回、出展作家の中で発表後10年以上経った旧作も出したのは佐藤氏だけでした)ことで、さらに際立っています。結果として、泉の作品もまた佐藤氏の作品のように見えたのでした(驚)。


 ○杉山卓朗氏

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 PC上で生成した形態のパターンをモティーフにした絵画を描き続けている杉山氏。今回は泉が1966〜69年に集中的に制作しながら習作だったこともあって数年前まで未発表だったドローイングと自作を並べて出展しています。それは上述したアメリカ〜フランス滞在時代の作風と、帰国後(当時最新のツールだったエアブラシを得たことでさらに)全面化するであろう幾何学的形象への探求が突出していく作風との言わば端境期に当たる。かような、当時の泉における制作の新展開を予感させる作品を選んだあたりに、杉山氏の慧眼が見出されます。以前から杉山氏の作品はモティーフやそこから受ける印象、さらには方法論的なレベルに至るまで泉茂っぽいと当方の周囲では言われてきており、いつかどこかで並んで見る機会があればいいなぁと思うことしきりだったものですが、今回の展覧会によって時を経て実現したことになるわけで、ゼロ年代から杉山氏の作品に接してきた者としては感慨ひとしおでした。


 ○五月女哲平

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 今井氏同様関西では作品に接する機会がなかなかないため、今回は貴重な機会となった五月女氏ですが、一見すると単純な幾何学的形象を描くことに特化しているように見えつつも実際には絵画内の諸要素が繊細な手つきで関係づけられているような作品を手がけていることで知られています。そんな五月女氏が選んだ泉の作品はアルミ板に刷られた版画作品でした。よく知られているように、70〜80年代の泉はエアブラシを使ってメタリックでモノクロームな質感と色彩感をともなって円形や三角形といったプライマルな形象を描いていきますが、この版画作品もまたそのような時期の泉の関心が非常に強く反映されたものであると言えるでしょう。70〜80年代の泉においては形象への関心が突出しているように見えつつも、形象を歪ませたり様々な線と絡めたりするなど、同時代のいわゆるミニマルアート/ミニマリズムの潮流と較べてより細やかな探究の軌跡が見出されますが(そのあたりについても今後の研究が待たれます)、そこにも五月女氏との並行性が見出されるでしょう。


 ──以上6名の作品が二箇所に分かれて展示されていたわけですが、一見して明らかなように、6名とも泉の作品に対する理解度が非常に高かったことにまずは注目する必要があるでしょう。結果として泉の作品だけが突出して目立つのではなく、泉の作品も6名の出展作家の作品も同じレベルにおいて見られるものとなっていました。上述したように、それは佐藤克久氏のコーナーで顕著だったのですが、いかに事前の作家選定の折に抽象画家、それも絵画における「形象を描くこと」への考察を画業の出発点/到達点としている傾向性を持つ抽象画家たちをメインにしたであろうことが一目瞭然で、泉とある程度(絵画)史的バックグラウンドを共有しているとはいえ──だからかかる並びに上田良女史が入っていることが個人的にはかなり意外でしたし、しかし出展作の力によって納得もさせられたのでした──、泉の作品に内在していた/しているものを思いもよらない形で提示しえていたことは間違いない。結果として私たちは泉の作品を過去のマスターピースとして以上に現在の作品として見ることになり、現存作家としての泉茂という不思議な位相において改めて刮目して見ることになったのでした。


 「2つの時代の絵画表現」というタイトルながら、そこにおいて現われていたのは、紛れもなく過去と現在(と未来)に通底するひとつの精神であり、で、このひとつの精神は絵画を唯一性のもとに終結/閉止させることに抵抗するものとしての「ひとつ」である。それを作品とコンセプチュアルに周到なケアのもとに提示していたところに、この展覧会のアクチュアリティがあると言えるでしょう。