みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

村田奈生子展

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 仕事が休みだったので、アトリエ三月で11月22日から始まった村田奈生子展に初日にうかがうことができました。昨年のUNKNOWN/ASIAで(アトリエ三月を運営している)原康浩氏が個人賞を授賞した作家で、今回の個展はその副賞として開催されているとのことです。

 

 今回は近作や新作の絵画が1F・2F合わせて十数点出展されていました。モノクロで描かれた様々な形態や筆触が画面狭しと乱舞している抽象絵画。モノクロであることも手伝ってか、生き生きとしたモノというよりもその痕跡ないし廃墟、遺物といった印象を見る側に強く与えるものとなっているとさしあたっては言えるでしょう。村田女史いわく、これらは「今あるものは全て未来の遺物とな」(←ステイトメントより)るという認識のもとに描かれているそうで、過去→現在→未来という時間軸が強烈に意識された中で、それらをトリミングすることによって描かれている《いずれは消える足跡は記憶を介してズレたりブレたりしながら重なって今を複雑に形作っている。過去の綻びを縫い、リサイズし、再考し、拾い上げては捨てるを繰り返すことで全く新しい形が生まれ、意識した途端にもう背後にいるこの瞬間と重なってみえる。時計回りではなく、真っ直ぐに続く一本線の先、将来、形なき遺跡となろう剥き出しのこの時間を、今ここに描き留めておきたい》(ステイトメントより)。

 

 このように、時間軸への強い意識のもと、断片化されたモノ(や、それ以前)を「剥き出しの時間」として描き出すことに全振りしている村田女史の作品ですが、その制作手法はやや独特でして、絵を描く前にコラージュを大量に作り、それらを再コラージュしたりトリミングしたりするようにして絵を描くそうです。そのコラージュは基本非公開だったのですが、今回の個展に先立ってこのアトリエ三月で開催されたグループ展では原氏の勧めもあって公開していたとのこと。今回も後述するアーティストトークの際にいくつか公開されましたが、一見して非常に印象的だったのは──私たちが「コラージュ」という手法から連想されるような──雑誌などからイメージやシンボルを借用するというものではなく、それら以外を借用しているということでした。つまりコラージュあるあるの作品とは真逆の観点から作られているわけで、これはコラージュという手法に対しても、また「将来、形なき遺跡となろう剥き出しのこの時間」にフォーカスを合わせていることから見ても、きわめて理に適っているし、示唆的である。

 

 ところで当方がうかがった初日には、件のUNKNOWN/ASIAでやはり村田女史に個人賞を授与していた画家の中島麦氏を招いてのアーティストトークが行なわれました。アーティストトークといってもそんなに肩肘張ったものではなく、みんなで車座になって作品や彼女の来歴、ハマった本などについて話を聞くといった趣。村田女史は京都精華大学日本画を専攻し、いろいろあってロンドンに短期留学した際に今の作風に開眼して現在に至るそうで、学生時代のスケッチブックなどをみんなで回覧したりしながら振り返っていたわけですが、ロンドンのアートスクールで雑誌のモノクロページをコラージュして作った平面を提出したときにかつてない手応えを感じたのだという。彼女はこの一連の歩みを「カラーはテムズ川に捨ててきた」と一言で言い表してましたが、アーティストトークのみならず、彼女の画業全体をも端的に象徴するパワーワードとなっていたのでした(それを作品においてカラリスト的な相貌を近年ますます強めている中島氏に対して言うか〜というのも込みで←)。