みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

木村友南「インターネット葬」展

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 アトリエ三月で7月31日〜8月11日に開催された木村友南「インターネット葬」展を見てきました。透明アクリルを素材として用いた作品でたまにSNS上でバズることがある──とりわけ、「エビデンス」とあしらわれたアクリル製メリケンサックといった趣の《エビデンサック》はtwitter上で大ウケしていたものです──木村女史ですが、今回はアクリルをjはじめとした透明な素材を多用しつつ、「インターネット葬」という個展タイトルから醸し出される不穏感がさらに加速された作品が多く出されていた。透明アクリルはもちろん、塩化ビニールや鏡、EL管、文字化け、卒塔婆梵字、バーコードなどが素材や意匠として濫用されているところに、それは如実に現われています。

 

 私たちは「個」の境界をどこかへやってしまっている。/インターネット、特にSNSの登場以降私たちは様々な感情を外部化するようになった。/それは「身体性の喪失」という問題でもある。/傷すらも外部化されている私たちの失われた身体を回復するための弔いに祈りを込めて。

 

 ──かかる木村女史のステイトメントはSNS以降の時代認識としてはなんとなく共有されてそうなことを最大公約数的に言語化したといった趣ではあるのですが(←褒め言葉)、そういった認識から出発しつつ、サブカルチャーやネットカルチャーにおけるサイバーパンク的な意匠を導入すること、そしてそれらが往々にして「死」のイメージをまといやすいし実際そういうイメージのもとに語られ生産されてきたこと、これらをテコにして「身体性の喪失」に対峙し「傷すらも外部化されている私たちの失われた身体を回復」することが、通俗的な見かけとあいまってよりヴィヴィッドな印象をともなって観者に受け取られるようにしつらえられていると言えるでしょう。そしてそのような所作が「弔い」という言葉によって表象されているところが、彼女の作品にとって大きな賭金となっている。その意味や意図がいかなるものなのかについて、もう少し作品を見守る必要がありそうです。

 


 ところで同所の1Fを使用してmanimanium「birth」展も同時開催されていました。以前からフォトグラファーとして幅広く活躍しているmanimanium女史、今回は女性を被写体とした写真作品を出展していましたが、モデルさんの肌に超接写した写真作品が個人的には非常に印象的でした。ポップさや生が横溢しているかのような集合写真と並べることで、逆に様々な明暗の境界としての肌(skin)が強調され、もってモデルさんたちの身体がskinにおけるイメージの闘争の場として立ち上がっていたわけで、こちらにも瞠目しきり。