みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

今道由教展(2020)

 西天満にあるOギャラリーeyesで7月13〜18日に開催の今道由教展を見てきました。今道由教(1967〜)氏は1990年代から作家活動を続けていますが、近年は天神祭(今年は中止になりましたが……)の時期にこのOギャラリーeyesで個展を行なうことがなかば恒例化している。当方は2015年の個展で初めて今道氏の作品に接して以来毎年見に行っておりまして、今年も無事、氏の新作を見ることができた次第。

 

 《絵画における視覚的な図像と物質的な支持体との関係に着目し、支持体となる紙の両面性を活かしながら、支持体そのものへ物理的に働きかけることから生まれる表現を探っています》(プレスリリースより)──今道氏自身がこのように語っている通り、Oギャラリーeyesでの個展においては、例えば紙の表面と裏面をそれぞれ違った色で塗ったあと切り込みを入れて折り返すという作品や、紙をフリーハンドで裂いては折り曲げることを繰り返してできる不定形の両面に異なる色彩を施した作品、あるいは両面を違った色のポスターカラーで塗り、濡らしながらクシャクシャにする──ポスターカラーに耐水性はないため、二つの色はプロセスの中で混ざり合うことになる──作品など、様々な手段によって「支持体そのものへ物理的に働きかけることから生まれる表現」を探究してきておりますが、迎えた今回はトレーシングペーパーにストライプ柄を印刷し、折り紙の要領で折り返していくという作品が中心でした。

 

 先ほどいくつか例示したように、紙の両面を、というか、紙という支持体の両面性を生かして、表と裏が相互反転的な様相を呈するように作られているところに今道氏の作品の眼目があるのですが、今回の出展作の場合、ストライプ柄を構成する二色がそれぞれトレーシングペーパーの表と裏に分けて刷られています。従って私たちが表面上における出来事としてとらえるのは実際には表面と裏面に分割された形で制作されているわけです。そのように作られた紙が折り返されることで表/裏という要素が混濁され、幾何学模様は単なる表層的な色面ではなく、一種の奥行きをともなって立ち現われてくるようにしつらえられている《1色ごとに作成したストライプ・パターンを表面と裏面に分けてプリントすることで、表裏のそれぞれの色帯が互いに透過して縞模様が形成されるようにしました。この用紙を図柄が水平・垂直や直角につながるように内外に折り返していくと、表面と裏面が入れ替わりながら屈曲した色帯が幾何学的な図像を作ったり、折り込まれた内側の色帯の重なりが幾何学模様を浮かび上がらせたりします》(プレスリリースより)。


 一見すると表面における出来事として現われてくるパターンがしかし表面と裏面にいったん分離され、トレーシングペーパーという支持体の特性によって事後的に統合された形で作られており、その支持体自体を折り重ねて制作することによって支持体/表面という二分法とは違った形で平面を経験する──ここ数年の今道氏の作品はこのような志向性を強く帯びていることから、1970年代のフランスにおいてブームとなったシュポール/シュルファス(support/surface)とある程度連関していると考えられます。絵画/平面を支持体(シュポール)と表面(シュルファス)との両端からなるものと定義した上で改めてこの双方をつなぎ直すという論理構成によって作品を制作することがシュポール/シュルファスにおいては目指されることになり、従って「描くこと」はパラメータ化された両端を事後的に再統合していく行為と再定義されることになるのですが、しかし今道氏の(少なくとも近年の)作品においては、支持体に直接的に手を加えることが、描かれるモティーフや色彩なしに遠近法的な空間を作ることと深くかかわっていた──この意味において、今道氏の行為は(絵画について語る際に私たちがなんの気なく濫用する)〈絵画空間〉を、トレーシングペーパーを用いてヴァーチュアル(仮想-実効的)に作り出していると考えられます──という点において、いわば「シュルファスなきシュポール」というべき独特の位相を思考/志向していたと言えるでしょう。それがどのような射程を遂行的に開示することになるか(例えば「絵画」/「彫刻・立体」という二分法についてはどうなのか、とか)、さらに考えていく必要があります。

「Online / Contactless」展

https://www.youtube.com/watch?v=XHK_yajCwAo&feature=youtu.be

 

  今年に入ってから全世界的に感染が拡大している新型コロナウイルスの影響によって、人が集まることでクラスター感染源となる可能性が高いことから、国や地方自治体による緊急事態宣言の発令に合わせて実店舗が長期間にわたって休業を余儀なくされてしまうようになったのですが、ギャラリーも例外ではなく、最近ようやく営業を再開するところが散見されるようになったものの、3月・4月は大半が休業し一部では通信販売で作品販売を行なうようになっていました。そんな中、the three konohanaとYoshimi Artsの共同企画によって5月22〜31日の日程で開催されていた「Online / Contactless」展(以下O/C展と略)は、以上のような状況の推移の中で構想され開催されたことを早いうちから前面に押し出していたことで注目すべき展覧会であったと言えるでしょう。

 

 O/C展の概略を軽く説明しておきますと、企画した双方のギャラリーが取り扱っている計五名の作家──レイチェル・アダムス(1985〜)、泉茂(1922〜95)、加賀城健(1974〜)、加藤巧(1984〜)、興梠優護(1982〜)──の小品を中心とした作品をthe three konohanaに展示し、会場内のインスタレーションビューと個々の作品のズームアップからなる5分ほどの動画をYouTube上で公開する(上リンク参照)というもの。作品画像や映像を自サイトや各種SNSに上げることによって実店舗での展示に代える動きは新型コロナウイルスの感染拡大以降急速に常態化していきましたが、このO/C展では会期中の5月30日に開催された出展作家やギャラリスト出席のトークショーを(テレワークが推奨される中で普及していった)zoomを用いることによってオンラインで開催したり、会期中の一部の日時にthe three konohanaのギャラリストである山中俊広氏がやはりzoomを用いて会場内からリアルタイムで配信し観賞者と対話する「オンライン在廊」を開催するなど、ギャラリー業務の過半を非対面型で行なっていました。「online」ばかりでなく「contactless」という要素もこれらの行為によって提示していたわけで、その点においてこの展覧会は「Online / Contactless」というタイトルに偽りのないものとなっていたのでした。

 

 このように、新型コロナウイルスと否応なしにつき合うことが求められている状況下における展覧会の作り方や見せ方、あるいはギャラリー業務のやり方を主たる考察の対象として企画/開催されたこのO/C展ですが、大急ぎで指摘しなければならないのは、この展覧会が俎上に乗せていたのは以上のような展覧会やギャラリーの設定・運営というテクニカルな位相にまつわる諸要素だけではないということである。

 

 それは上にあげた出展作家たちの作品に即して見てみることで、より明確になるでしょう──レイチェル・アダムスはアートとデザイン、実際の素材と見た目の素材感とを横断するようなオブジェ作品によって双方のギャップを強調しつつ架橋していましたし、加賀城氏は染色で使われる染料や糊の持つ意味性や物質性を創作の基盤とすることで染色というジャンルに固有の領域を拡張している(絵画との差異がここで強調されることになるだろう)し、加藤氏はテンペラやフレスコといった中世の西洋絵画の技法を現代にリサイクルすることと絵具の材料研究とを以前から両にらみにして画業を展開しているし、興梠氏は油絵から出発しつつその可能性を拡張していくような作品を国内/海外を滞在して回る中で探究し続けている(今回は以前から描いていたという「zoom画面の向こう側にいる人と対話しながら描いた肖像画」という、なんともタイムリーな小品を出展していました)。そしてこれらの作品に泉の主に1970年代に手がけられたエアブラシを用いて描かれた、まさに「contactless」を地で行った形で描かれた絵画を合わせると、今回の出展作家や出展作品が〈素材〉ないし〈材料〉といった要素をめぐっており、またそれらに対する意識や考察、見識が他の作家に比べても鋭い作家に集中していることが見えてきます。

 

 とすると、今回のO/C展は、両ギャラリーの所属作家による常設展のような外見を見せつつも、きわめて挑戦的な営為に貫かれていることになります──これらの作家の作品における素材感や〈材料〉への考察に、しかし見ている側は画面を通してでしか接することができないからです。古典的な図式で言い換えると「質料」をめぐる作品に「形相」的にしか接することができない、という。これがイラストレーションや具象・写実の作品であれば単に撮影してアップロードすればよいとしてもさほど問題にはならないのですが、O/C展の出展作品(をディスプレイを通して見ること)についてはまた別の問題系に開かれることになるかもしれません。

 

 そう言えば5月30日に行なわれたオンライントークショーでもフロア(フロア?)からの質問が少なからず〈アウラ〉((C)ヴァルター・ベンヤミン)をめぐってなされていたものですが、〈材料〉への考察を主題としたフィギュラティヴとは言い難い作品をディスプレイを通して見るという営為は、確かに〈アウラ〉といういささか古びた言葉・概念について思いを馳せるに良い契機になったとは言えるでしょう。個人的には〈アウラ〉というより、ヴァーチャル・リアリティについての議論の中で幽霊的に(?)浮上したりしなかったりする概念としての〈仮想化しきれない残余〉((C)スラヴォイ・ジジェク)という方がこの展覧会のアクチュアリティについて考える上でさらに示唆的であるように思うところですが。ちなみにそのトークショーの末尾で加藤氏が卒然と言った「あきらめの悪さを見てもらう(展覧会)」という発言は、O/C展のアクチュアリティと作家性とを両方視野に入れて考察する上で重要なパワーワードでした。

【資料】たに あらた「焼かれた言葉 あるいは 遠藤がエクスタシーを感じるとき」(1993)

 

 遠藤利克の新しい志向は、とてもエロティックなものだ。性愛的にではなく、観念的にそうなのである。

 

 登場する対象は「書物」(言葉をもった器)。この意味の堆積物あるいは意味のメタファーそのものであるオブジェは、遠藤がアイデンティティーを交わしてきた元素のひとつ〈火〉によって焼き尽くされる。いや、正確にはすべてが焼き尽くされるのではなく、半焼き(生焼き)にされるのである。

 

 考えようによってはきわめて残酷なものでもある。無用な意味は焼き尽くされてしまったほうがよい。だが、無用という価値判断ほどじつは残酷なものでもなく、無用なものによってはじめて意味は有用性を帯びる。そうなれば、有用はとりあえず無用の存在によって有用になり、無用はある有用性のためにとりあえず無用の役割に甘んじていることになる。いわば“有用/無用の意味の交換”がこの世界の節理でもある。

 

 だが、この交換関係をオーソドックスに是認してしまうのであれば、遠藤の作品行為は“立たない”。彼の言葉で言えば「感覚としての垂直性」が得られないということになる。〈火〉は、変遷し否定され塗り変わっていくという意味の歴史をかなぐり捨て、意味をもっとも見えるかたちにおいて否定するときの手段として使われる。“焚書”がその端的な例だろう。それはもっとも暴力的な手段である。意味をもうひとつの意味によってではなく、外的な暴力によって焼尽しようとすること。その行為の是非は多くの論議を呼ぶところだ。大半は、この行為について無意味であるとする。確かにそうだろう。

 

 しかし、遠藤はそこに“エクスタシー”を感じてしまう。意味に無類の外的な力が働いて、意味の平均的変動の歴史的コンテキストが揺らいでしまうこと。関係の直接性あるいは遠藤流に言う“感覚の垂直性”は、以上のようなある種“非民主的手続き”によって生誕する。愚昧な意味の交換関係よりは直立する意志のほうがより優れる、と彼の作品は語っているようだ。

 

 その例は今回の出品作の直前の作品が暗示している(タイトル──「Two Walls」、ギャラリー・ヤマグチ個展)。この倉庫をギャラリーに変えた空間は狭いが心地よい。ここに遠藤は平行して立ち上がる木の壁をつくった。百ピースくらいの角材を積み上げてつくった壁で、高さは3m50cmある。「EPITAPH」(1990年)の3mを凌ぐこれまででもっとも高いものである。床に立つとき、当然その上辺は望めない。並立する壁のあいだに立つと圧迫されるような迫力がある。やや古いが崇高な精神性を感じさせるかもしれない。

 

 あのタール特有の臭気に包まれることもない。この作品で初めて遠藤はタールによるコーティングを止めた。代わりにアクリル系塗料によるコーティングをおこなっている。タールによる物質性は後退した代わりに、炭の光沢がいっそう強まり、肌合いが美しく見える。

 

 これは従来の作品とどのように関係づけられるのだろうか。手がかりは多く残されている。ひとつはビーカーの水という直接過去の作品を想起させるものであり、他は焼いた壁が示しているコノテーションである。前者を補足すれば、それは「水蝕III」(1978年)にさかのぼりうる。このとき遠藤は床よりもやや高い位置に水を湛えたビーカーを置いた。このときのモティーフはもとより水である。だが、このビーカーの置かれている位置関係を展示空間もろともに問題にする眼は存在しなかった。それを彼は今に実現しようとしている。「Two Walls」の平行して立脚している壁は、いわば画廊の壁のあい対する面が前進したスタイルである。「水蝕III」のときのビーカーの位置がそうであるように、「Two Walls」のビーカーは壁の下部(床から約30cm)、端のほうに置かれ、相互に回転対称になっている。もっとも新しい作品のそれは強化ガラスでできた高さ50cmもある特製のビーカーで、壁の強度と呼応している。遠藤の水は物質としての水を感じさせないメタフォリカルな世界にも向かうが、ここではじゅうぶんに存在感がある。

 

 作品としてはすでに言いたいことはすべてこれで言いきれていよう。だが、この作品はもうひとつの強い欲望によって裏打ちされている。焼かれた壁の立脚。すなわちそれは画廊空間を焼き尽くすことのシーニュである。床も壁も天井も焼くこと。この危険な想念の存在があってこの作品はよりリアルになる。だから意味は過去の作品から派生し、大きくそれに内包されているかに見えて、多くの分量を壁の彼方へと向かわせる。そしてこれらの行為が予測させる不可能性と向き合うとき、遠藤が無制限のエクスタシーを感じるのは言うまでもない。

 

 このひそみにならえば、新作(タイトル──「敷物─焼かれた言葉」)は、床を覚醒させる彼にとっての新たなチャレンジである。1980年代の遠藤の作品は、垂直はもとより水平を意識させる作品も多々ある。しかし、それらは円環など形態に由来するイメージが圧倒的に強い。ミニマルな形態に由来すると言ってもよい。今回の展示も矩形などのある作品としてのまとまりは実現されるだろう。しかし、それは従来の作品のような意味は担わない。視覚への形態的還元よりももっと書物(言葉=意味)を焼くという行為が重い複雑な意味を担うのであり、さらに書物(記述されたオブジェ)を“敷物”として扱うという暴力的行為によって床を意味(想念)の含有物に組み換える。作品を展示することが日常である画廊の床が、これほど多くの不確定で重い意味によって漂うこともないだろう。言うまでもなく、それも遠藤のエクスタシーを代弁するのである。

 

 書物。この扱いづらいオブジェを遠藤は約2,000冊用意した。これを二段重ねにして展示するだろう。書物の内容は美術に関するものではない。意味をもられた器としての対象一般が彼にとっては問題だからだ。しかし、たとえそうであっても、今回の作品行為が問題になることは間違いない。遠藤利克の有力なモティーフである“火”と“癒しの水”の転形譜は、木や鉄といった素材の領域をはみでる意味を担った対象の介入によって美術内タームを超えた新たな挑戦と対決を強めざるをえないだろう。(美術評論家

 

 ※1993.9.13〜25にギャラリー白で開催された遠藤利克氏の個展に際して発表された。

【資料】たに あらた「遠藤利克の作品について」(1986)

 

 遠藤利克の作品は、そのあらわに示された物質性とはうらはらに、意味の過剰によって担われている。最初期の発表のころから、彼が水をもちいたことによって、私はそこに通常の造形理念とは別種の作品性格を見出さざるをえなくなったが、このことは彼の他の物質への対処のしかた(たとえば火、空気、太陽も大切な要因になる)を含めて、等しくうかがいしれるものであった。つまり、オーソドックスな造形理念を超えるアルケオロジー的物質への対処が濃厚に見られたのである。

 

 行為の痕跡を結果的に表明していた水は、やがて’78年ころより’80年代にかけての発表を通じてよりシンボライズされた意味を示唆するようになる。今回発表の3つのピースから成る木の円柱状の作品は、その後の「棺」などの作品に見られる“隠蔽された水”にいたるステップとなるものだが、時系列を視覚にひきつけてシンボライズした点でほとんど唯一といってよい作品である。

 

 時系列は遠藤の場合、ほとんどロングスパンの歴史に通底しているが、あたかもその発達史のエッセンスを凝縮したような象徴性を担っていたのがこの作品である。3つのピースはそれぞれ1カ所ずつ水を湛えているようにえぐられ、そこに水をためているが、これらの関係構造は“単一と対[つい]”に分かれ、同時に’83年の発表では、単一の場所で火が焚かれ、対のホールでは静態的に水が湛えられるという関係構造で現象している。それは“生のものと煮たもの”といった関係で見ることも自由だが、それ以上に見落としてはならないことは、燃えさかる単一のホールの表出性(およびその結果としての根跡)と、やがて歴史基軸が必然的に現象させることになった対なる関係の絶対性が、その背後で揺れ動いていることであろう。単一と対なるものの接続の仕方にもそのことは見て取れよう。

 

 物体の相貌の背後に隠された意味のネットは、解釈の自在性に裏づけられており、以上のように読める必然性はないが、少なくとも遠藤は作品と作品を包み込むものの両意をもって、極めて根源的なアルケーを現在世界に再活性化させているのである。

 

 ※1986.6.23〜7.5にギャラリー白で開催された遠藤利克氏の個展に際して発表された。

 

「天覧美術」展

 KUNST ARZTで5月22〜31日に開催された「天覧美術」展。出展作家は岡本光博氏(兼キュレーター)、木村了子女史、小泉明郎氏、鴫剛氏、藤井健仁氏の五名。KUNST ARZTはこれまで「フクシマ美術」や「ウォーホル美術」など「〇〇美術」というタイトルでのグループ展を定期的に開催してきており、それによって〈(現代)美術〉の拡張を企図しておりますが、今回はかようなプラットフォーム上に(よりにもよってと言うべきか?)〈天皇制〉を乗せているということで、開催前から話題になっていたようです。

 

 出展作について順に説明します。キュレーターも兼任している岡本光博氏は鳥籠の中に鳥のようなオブジェと小さな写真を入れた作品が二点と信楽焼のたぬきの写真が焼き付けられた陶片を金継ぎしてたぬきのキ○タマを模した陶作品、あとドミニク・アングル《泉》の乳房の部分を菊の御紋があしらわれた銀杯にすり替えた作品も出展していました。鳥籠の作品はカナリア的存在としてのアーティスト(実際、うち一点の写真には昨年の「表現の不自由 その後」展を大炎上させた主要因となったあの慰安婦像と岡本氏が向き合っていました)を、陶作品は「継ぐ」という言葉を介して、日本社会以上に少子高齢化に直面し世継ぎの面で問題を抱え続けている皇室を、それぞれ俎上に載せていると考えられます。岡本氏は定期的に作品が物議を醸していることで知られており、上記の「表現の不自由 その後」展の出展作家でもあったわけですが(管見の限り、同展では(慰安婦像や大浦信行氏の作品のようには)直接的に作品が指弾されることはなかったようですが)、岡本氏特有の、象徴性をめぐるアレゴリーをダジャレや言葉遊びで(フロイトが言う、「現実」の反対としての)「戯れ」の中に落としていく手法を〈天皇制〉相手にも行なっていたと言えるでしょう。

 

 木村了子女史はイケメン男性を日本画の技法で描くことで、美人画ならぬイケメン画(?)の第一人者となっていることで知られています。今回は上皇を彼女お得意のイケメン画として描いた絵画と、菊の御紋と「菊」つながりでassholeを晒した人物画──といっても大和絵や土佐派のような流麗な描線で描かれているので、そこまでエログロではない──が版画と掛軸で出ていました。今回の出展作家の中で最も真正面から〈天皇制〉を、というか「描かれた天皇制」を、描くことで再考している印象。「天皇」と「エログロ」とを直接的に対置することは、その意図や結果はどうあれ、日本の、特にサブカルチュアにおいてひとつの伝統技法と化しているものですが、それを──創られた伝統((C)エリック・ホブズボーム)としての──日本画の技法で行なうという形を取っているわけですから、「描かれた天皇制」、そして「天皇制を描くこと」を主題にする上でとても理に適っている。もちろん作品のクオリティの高さについては、言うまでもない。

 

 小泉明郎氏が出展したのは過去作の映像作品二点。ひとつは小泉氏自身が(?)パンキッシュなジャパノイズミュージックにアレンジされた「蛍の光」に乗せて鉛筆で紙の上で殴り描き(というかもはや「殴っている」と言った方が良いかも)している3分足らずの映像。もうひとつは1990年の即位例の際のNHKの中継からぶっこ抜かれた音声と、『仮面ライダー』内におけるショッカーによって市井の人々が殺されるといった不穏なシークエンスとを極悪マッシュアップした12〜13分ほどの映像(個人的には自衛隊が撃った礼砲の音とショッカー怪人が爆死するシーンとがマッシュアップされていたところに笑)。二つ合わせて15分ほどの映像でしたが、「蛍の光」は昭和天皇が皇太子時代に行なった欧州外遊を回顧した際に思い出深い一曲としてあげていたことや、あるいは2000年の『仮面ライダークウガ』以後2018〜19年の『仮面ライダージオウ』に至るまでの仮面ライダーがいつの間にか「平成ライダー」と呼ばれ、そこから遡及的に最初期の仮面ライダーたちが「昭和ライダー」と呼ばれている──つまり現代日本において元号を冠して呼ばれるのは今や(明治以後の)天皇仮面ライダーくらいであるわけです──ことを勘案すると、小泉氏がどこまで狙っていたかは分かりませんが、かかる作品外の事実込みでクリティカルだなぁと思うことしきりでした。

 

 鴫剛氏の出展作は絵画が二点。ひとつは桜色に染められた国会議事堂が、もうひとつはヘリコプターがモティーフとなっています。1970年代に波や集合住宅を細密に描いた絵画作品によって日本におけるスーパーリアリズムの旗手ないし第一人者となっていることで知られる鴫氏ですが、それだけに今回の「天覧美術」展の出展作家の中でも立ち位置的にひとりだけ異質というか〈天皇制〉をテーマにした展覧会にどのような作品を出してくるか事前に予想できなかったわけで。そういう視線から実際の出展作に接してみると、モティーフもさることながら描き方の面においても見る側に政治性への注意を喚起させるものとなっており、鴫氏の別の側面を堪能できる機会となりました。とりわけヘリコプターをモティーフとした鉛筆画は全体的にボケた感じに描かれており、ヘリコプターそれ自体よりもむしろヘリコプターの影をスーパーリアルに描いたような印象を受けるものとなっていますが、そのことによって(憲法9条によって不可視化された)軍事的なものを、さらに言えば米軍が使用しているタイプのヘリコプターを描いていることで「アメリカの影」((C)加藤典洋)をも見る側に敷衍することを求めているようにも見えたのでした。

 

 藤井健仁氏は一貫して鉄を鍛造して人物や猫、謎の生物などをモティーフにしたフィギュア的彫刻作品を作り続けていることで知られています。今回の出展作は以前に手掛けていた「彫刻刑・鉄面皮」シリーズから昭和天皇麻原彰晃をモティーフにした作品と、こちらも鉄を素材にしたほぼゴルフボール大(さらに小さいものもあり)の昭和天皇の頭像数点。特に麻原彰晃をモティーフにした《SA》は──『終わりなき日常を生きろ』で地下鉄サリン事件(1995)後の論壇のトレンドセッターとなった──社会学者の宮台真司氏が購入し所蔵していることでも有名ですが、今回関西では初公開とのことで、個人的にはこれがかの有名な…… とガン見しきり。今回は昭和天皇の(等身大以上の)鉄面皮と並べられることで、〈天皇制〉とそれをモデルにした擬似国家的な組織を志向していたオウム真理教とを極端な対比のもとに置いていたわけで、作品自体もさることながらチョイスがなかなかおそろしい。一方、小さい昭和天皇像はその小ささにおいて人間宣言後の天皇の暗喩として(確か大塚英志氏だったかが「かわいい」の一言で戦後の天皇制のありようを説明していました)あるように見えまして、見ようによっては鉄面皮シリーズ以上に天皇制の本質を撃ち抜きうる射程を秘めたものとなっている。

 

 ──作品については以上ですが、この「天覧美術」展の英語タイトルが「Art with Emperor」であることは、同展について考える上で非常に重要なファクターであるように、個人的には思われます。「of」でも「for」でもなく、ましてや「against」でもないわけで、このあたりの、キュレーターとしての岡本氏のバランス感覚は、それ自体として注目すべきことであるように思われます。

 

 

 この展覧会については、関西屈指の美術ジャーナリストとして知られる小吹隆文氏がtwitter上で「極端に偏向していて」「とても不愉快だった」と発言したことが関西において物議を醸していた様子ですが、しかしながら先に触れたように「with」によって「Art」と「Emperor」を対置することによって、双方との間にディスタンスを設定することがキュレーションを通して目指されていたのだとすると、この「偏向」は、〈天皇制〉を美術によって俎上に乗せるに際して、それ自体として必要であったと言わなければならないでしょう。美術が〈天皇制〉に対してなしうることは、偏向によってディスタンスを設定し、そのことによって思考可能なものとして対象化することである。そうする形で複数の視点/焦点を確保する(ここでおそらく花田清輝の「楕円」を思い起こしておくことが必要かもしれません)。この感覚を忘れたとき──つまり、例えばこの展覧会が「Art against Emperor」展とかだったとき──視点/焦点は再び一元化され、〈天皇制〉はシステムとして再生産されてしまうことになるだろう。岡本氏自身や小泉氏といった、「表現の不自由・その後」展の出展作家も(部分的に)招きつつ、同展が陥っていた一元化と違ったルールを設定しようというのが「天覧美術」展の試みであったわけで、それが上手くいっているかどうかについては議論の余地はあるでしょうけど、現時点においてかなり高い水準でなされていたことは事実でしょう。

 

 なおこの展覧会は6月2日から東京のeitoeikoに巡回しています(〜6.20)。さすがに東京に見に行く金銭的・時間的余裕はないのですが、首都においてこれらの作品がどのようなコンテクストのもとに受け止められることになるのかは気になるところです。