みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

「Online / Contactless」展

https://www.youtube.com/watch?v=XHK_yajCwAo&feature=youtu.be

 

  今年に入ってから全世界的に感染が拡大している新型コロナウイルスの影響によって、人が集まることでクラスター感染源となる可能性が高いことから、国や地方自治体による緊急事態宣言の発令に合わせて実店舗が長期間にわたって休業を余儀なくされてしまうようになったのですが、ギャラリーも例外ではなく、最近ようやく営業を再開するところが散見されるようになったものの、3月・4月は大半が休業し一部では通信販売で作品販売を行なうようになっていました。そんな中、the three konohanaとYoshimi Artsの共同企画によって5月22〜31日の日程で開催されていた「Online / Contactless」展(以下O/C展と略)は、以上のような状況の推移の中で構想され開催されたことを早いうちから前面に押し出していたことで注目すべき展覧会であったと言えるでしょう。

 

 O/C展の概略を軽く説明しておきますと、企画した双方のギャラリーが取り扱っている計五名の作家──レイチェル・アダムス(1985〜)、泉茂(1922〜95)、加賀城健(1974〜)、加藤巧(1984〜)、興梠優護(1982〜)──の小品を中心とした作品をthe three konohanaに展示し、会場内のインスタレーションビューと個々の作品のズームアップからなる5分ほどの動画をYouTube上で公開する(上リンク参照)というもの。作品画像や映像を自サイトや各種SNSに上げることによって実店舗での展示に代える動きは新型コロナウイルスの感染拡大以降急速に常態化していきましたが、このO/C展では会期中の5月30日に開催された出展作家やギャラリスト出席のトークショーを(テレワークが推奨される中で普及していった)zoomを用いることによってオンラインで開催したり、会期中の一部の日時にthe three konohanaのギャラリストである山中俊広氏がやはりzoomを用いて会場内からリアルタイムで配信し観賞者と対話する「オンライン在廊」を開催するなど、ギャラリー業務の過半を非対面型で行なっていました。「online」ばかりでなく「contactless」という要素もこれらの行為によって提示していたわけで、その点においてこの展覧会は「Online / Contactless」というタイトルに偽りのないものとなっていたのでした。

 

 このように、新型コロナウイルスと否応なしにつき合うことが求められている状況下における展覧会の作り方や見せ方、あるいはギャラリー業務のやり方を主たる考察の対象として企画/開催されたこのO/C展ですが、大急ぎで指摘しなければならないのは、この展覧会が俎上に乗せていたのは以上のような展覧会やギャラリーの設定・運営というテクニカルな位相にまつわる諸要素だけではないということである。

 

 それは上にあげた出展作家たちの作品に即して見てみることで、より明確になるでしょう──レイチェル・アダムスはアートとデザイン、実際の素材と見た目の素材感とを横断するようなオブジェ作品によって双方のギャップを強調しつつ架橋していましたし、加賀城氏は染色で使われる染料や糊の持つ意味性や物質性を創作の基盤とすることで染色というジャンルに固有の領域を拡張している(絵画との差異がここで強調されることになるだろう)し、加藤氏はテンペラやフレスコといった中世の西洋絵画の技法を現代にリサイクルすることと絵具の材料研究とを以前から両にらみにして画業を展開しているし、興梠氏は油絵から出発しつつその可能性を拡張していくような作品を国内/海外を滞在して回る中で探究し続けている(今回は以前から描いていたという「zoom画面の向こう側にいる人と対話しながら描いた肖像画」という、なんともタイムリーな小品を出展していました)。そしてこれらの作品に泉の主に1970年代に手がけられたエアブラシを用いて描かれた、まさに「contactless」を地で行った形で描かれた絵画を合わせると、今回の出展作家や出展作品が〈素材〉ないし〈材料〉といった要素をめぐっており、またそれらに対する意識や考察、見識が他の作家に比べても鋭い作家に集中していることが見えてきます。

 

 とすると、今回のO/C展は、両ギャラリーの所属作家による常設展のような外見を見せつつも、きわめて挑戦的な営為に貫かれていることになります──これらの作家の作品における素材感や〈材料〉への考察に、しかし見ている側は画面を通してでしか接することができないからです。古典的な図式で言い換えると「質料」をめぐる作品に「形相」的にしか接することができない、という。これがイラストレーションや具象・写実の作品であれば単に撮影してアップロードすればよいとしてもさほど問題にはならないのですが、O/C展の出展作品(をディスプレイを通して見ること)についてはまた別の問題系に開かれることになるかもしれません。

 

 そう言えば5月30日に行なわれたオンライントークショーでもフロア(フロア?)からの質問が少なからず〈アウラ〉((C)ヴァルター・ベンヤミン)をめぐってなされていたものですが、〈材料〉への考察を主題としたフィギュラティヴとは言い難い作品をディスプレイを通して見るという営為は、確かに〈アウラ〉といういささか古びた言葉・概念について思いを馳せるに良い契機になったとは言えるでしょう。個人的には〈アウラ〉というより、ヴァーチャル・リアリティについての議論の中で幽霊的に(?)浮上したりしなかったりする概念としての〈仮想化しきれない残余〉((C)スラヴォイ・ジジェク)という方がこの展覧会のアクチュアリティについて考える上でさらに示唆的であるように思うところですが。ちなみにそのトークショーの末尾で加藤氏が卒然と言った「あきらめの悪さを見てもらう(展覧会)」という発言は、O/C展のアクチュアリティと作家性とを両方視野に入れて考察する上で重要なパワーワードでした。