みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

明楽和記「絵画」展

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 大津市にある2kw galleryで2月1日〜23日の日程で開催の明楽和記「絵画」展。関西を中心にコンスタントに活動し続けている明楽和記(1988〜)氏の個展で、川口市立アートギャラリー・アトリアの学芸員である三井知行氏がキュレーションを行なっております。

 

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 今回は近年明楽氏が展開している単色の平面の上にアイスクリームを乗せた作品や、大量のビー玉を床にばらまいた作品、さらにはギャラリー内にシャボン玉を飛ばす装置が置かれていました。2kw galleryは二フロアにまたがって展示スペースがあるのですが、今回は出展作品数がかなり絞られておりまして、特に二階には天井近くに置かれた装置からシャボン玉が飛んでくるだけで何も展示されておらず、これはまた贅沢に使ってきたなぁと思うことしきり。と同時に氏の個展にそれなりに接してきた者から見ると、きわめて「らしい」作品揃いとなっていたのでした。


 明楽氏は以前から自身で手を動かして描くことに替えて既存のモノを何らかのルールに従って再配置することで絵を描くこととする作風で知られています。特に2016年にCASで(平田剛志氏をキュレーターに迎えて)開催された個展では、それぞれの「色」に見合った他人の作品を展示するという荒技を見せておりまして──そのときは「白」ということで今井祝雄氏の《白のセレモニー》シリーズの一作を持ってきたり、「黄」ということで越野潤氏の作品を、そして「緑」ということで冨井大裕氏の緑色のプラスチック製収納ボックスを積み重ねた作品を持ってきたりしていた。つまり「絵を描くこと」を「「色彩」を再-配置すること」と読み替えた上で、それを展示空間内において他者の作品によって行なっていたわけですね。こういった行為自体はいわゆる「アプロプリエーション(流用/奪用)」として欧米の現代美術においてそれなりの歴史があり、したがってそのこと自体は独創的というわけではないのですが、明楽氏の場合、それを〈絵画空間〉という、絵画について語る/語られる際に非常に多用される用語を文字通りに受け取った上で行なうという態度と合わせることで、この手の流用/奪用行為に新たなモーメントを付与していると言えるでしょう。その結果として、明楽氏の作品というか作品とされることになる行為は、流用/奪用行為が元のものを全く異なる文脈や位相に置き直すことでその真正性のようなものを逆説的に前提とし強調するのに対し、それとは逆の理路を歩むことになるのではないか《おそらく彼は、具体など先輩作家の活動や作品から方法論を取り出し、少し前に流行った言い回しを借りるなら「やってみた」というくらいの立ち位置で活動している。「似て非なる」という言い方が表面的な類似よりも本質的な違いを強調する表現ならば、彼の場合は本質的な差異を前提としながらも、敬意を含んで類似を良しとする「非で似なる」という形容がふさわしいように思われる》(今回の展覧会に際して執筆された三井氏の文章「「似て非なる」と「非で似なる」は似て非なるものか?」より)。


 ところで当方が今回の展覧会に接した際には明楽氏が在廊しており、二・三歓談しながら作品を鑑賞したり床に撒かれたビー玉を蹴ったりしていたのですが、氏が自身の制作・行為を「東洋的」というキーワードで語っていたのが個人的にはかなり意外でした──上述したように〈絵画空間〉を実際の空間において文字通りに実現することが氏の「絵画」の特質をなしているするなら、それは西洋絵画における根本的なミッションのひとつとしての絵画空間の拡張にかかわるものと思っていたからです。もちろんここにおける、あるいは以下における「東洋」「西洋」がきわめて雑駁な、具体例を通した検証を欠いたものであることは言うまでもないのですが、しかし明楽氏が「「東洋的」絵画」に広く見られる傾向性として象徴性の相対的な不在──書画において描かれたものはまさに「描かれたもの」として実在し、それが(キリスト教の宗教画のように)別の何かの象徴とかアレゴリーとなっているわけでは必ずしもない──をあげるとき、作家としての予感ないし直観によって掴まれた何かが確実に存在する。


 かような明楽氏の「「東洋的」絵画」についての話を聞きながら、そう言えば道元が『正法眼蔵』において「画」という言葉を用いて自身の仏法観を説明していたのを思い出しました。後に中村一美氏がこの箇所を引用して自身の絵画(とりわけゼロ年代後半から現在に至るまで描き続けている《存在の鳥》シリーズ)について自己語りをしていたわけですが、ともあれそこで道元はこのように述べている──

 

 ただまさに尽界尽法は画図なるがゆへに、人法は画より現じ、仏祖は画より成ずるなり。


 しかあればすなはち、画餅にあらざれば充飢の薬なし、画飢にあらざれば人に相逢せず。画充にあらざれば力量あらざるなり。おほよそ、飢に充し、不飢に充し、飢を充せず、不飢を充せざること、画飢にあらざれば不得なり、不道なるなり。しばらく這箇は画餅なることを参学すべし。この宗旨を参学するとき、いさゝか転物々転の功徳を、身心に究尽するなり。

 


──「尽界尽法は画図」である、すなわちこの世界はことごとく描かれた画であると道元は述べているわけですが、のみならず「画餅にあらざれば充飢の薬なし」「画充にあらざれば力量あらざるなり」と重ねて言うところに道元の認識がある徹底性をともなって開示されている。「画餅」すなわち描かれた餅でなければ飢えを満たすことはできず、描かれた充でなければ力量は発揮されない。このとき「画」とは単なる絵ではなく、それを越えたもの、実在するものの実在性をあまねく実現する位相のこととなる。このような「画」こそ仏法であると道元は言っているわけですが、いずれにしても、私たちがしばしば別物とする「描かれたもの」と「現実」が別物ではなく、双方を横断する「画」が存在するしそれがなければ双方ともども存在しえないというのは、「「東洋的」絵画」という茫漠とした広がりについて考え直したりバージョンアップしたりする際の取っ掛かりになりうるかもしれない(かかる解釈が曹洞宗的に正しいのかどうかは全く分からないのですが)。


 少々寄り道が過ぎましたが、明楽氏が(いささか唐突に)自作について新たな視角から語り出したことで、氏の新展開/超展開に触れる形となったわけで、今後どのように推移していくことになるのか、改めて注目する必要があることは間違いないでしょう。

本山ゆかり「称号のはなし」展

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 左京区浄土寺にあるFINCH ARTSで昨年12月20日〜今年1月19日に開催の本山ゆかり「称号のはなし」展。ここ数年、京都を中心に個展やグループ展を精力的に続けている本山ゆかり(1992〜)女史の、同ギャラリーでは初めてとなる個展。

 

 本山女史といいますと、透明なアクリル板に白い絵の具を雑に塗った下地に、さらに雑な──「「あたかも子供の落書きのような」という形容が非常にピッタリくるような」というべきでしょうか──ドローイングを施した平面作品で注目を集めていますが、今回の出展作は二枚の異なる色の布を継ぎ合わせて裏地に綿を打ち、そこにミシンの縫い目によって花の絵を施すという、これまでとは全く異なる傾向の平面でも立体でもあるような作品(画像参照)。本山女史いわく、これまでのシリーズとは別の作風のシリーズをもう一つ作りたかったからかような作品をものすようになったとのことですが(実際、かような作風は今回が初めてではなく、昨年Gallery @ KCUAで開催された「京芸Transmit Program 2019」( http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20190413_id=17395#ja )に選定された際にも出していたという)、実際に作品に接してみると、そのような内的動機に単純に還元できない形で批評的/危機的にエッジの効いたものとなっているように個人的には思うことしきりでした。

 

 それは、今回の出展作品が様々な点において「絵画」を逸脱したものとして提示されているところに、如実に現われている。上述したように、布を、それもカンヴァスに類するようなものではなく、サテン地の、服飾によく使われるであろうと見る側に認識させるような生地を支持体に、二色の生地をつなぎ合わせることで作られた下地にミシンの縫い目によって花の絵を描くというのが今回の本山女史の出展作だったわけですが、かかる作品のありようは、通常の絵画ないし平面のありようを、一見して判別できるレベルにおいても斜めに逸脱しようとしていると、さしあたっては言えるでしょう──絵具を一切用いていないという点において、これは絵画というよりもテキスタイルであるし、綿を打っていることでペシャンコになった座布団という相貌を見せている点において、これは単なる平面というより立体でもあるし。さらに言えば、下地がたわんだ形で壁に掛かっていたことも、下地が下地であることを露わにしていたという点において「絵画」からの逸脱を指向している一例とみなすことができる。そのような形で、今回の出展作は、作り方のみならず、その展示のされ方という位相においてもまた、いくつかの既成のジャンルに還元できないものとして提示されているわけですね。その意味で、この展覧会はまさに「称号」をめぐっている。


 ところで今回の「称号のはなし」展については、インディペンデントキュレーターの長谷川新氏が展評を寄稿しております( http://haps-kyoto.com/haps-press/exhibition_review/2019_10/ )。《何年前だったか、今をときめく新進気鋭の若手作家に「僕たちはもう”レイヤー”とかじゃないんですよ!(大意)」と言い放たれたことがあ》るという経験を出発点に、「レイヤーlayer」という言葉が持つ積層された垂直性のイメージを強く喚起させる語が特権的なマジックワードとなって語られてきたここ十数年の日本におけるある種の絵画論のモード──そこでは積層する諸層/諸相を一元的に貫くベクトルの強度が作品の強度とされることになる(スーパーフラット!)──を横目に見つつ、しかし作品内における《弛緩した緊張感》を肯定すること、《より一挙に、絵画をやっている》ことと《任意の線が三次元空間に引かれてしまっていることそれ自体の歪さを、素直に肯定してくれている》こととにフォーカスすることが本山女史の絵画を見る際には重要なのではないかという長谷川氏の指摘は、彼女の作品を見る上で何か重要なヒントを提供していると考えられます。実際、彼女の今回の出展作においてより顕著になっているのは、──二色の下地が交わることなく並行して縫い合わされているという点に最もよく現われているように──諸相がレイヤー状に積み重なっていくというよりも、むしろ水平に薄く広がっていくような感覚である。もちろん単純に垂直/水平という二元論に還元することはできないのですが、「縫う」という行為を制作の主軸としている本山女史の今回の出展作においては、かような二元論をも(またしても)斜めに逸脱することが試行されていることは間違いないでしょう。

川村元紀「プランクトン」展

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 いささか旧聞に属する話ですが、CASで昨年12月14〜28日に開催された川村元紀「プランクトン」展は、川村氏の関西では初めてとなる個展でした。金沢美術工芸大学を卒業後、主にインスタレーション作品を中心に制作活動を続けておりまして、近年は2017年・2019年と二回連続で「引込線」(2019年は「引込線/放射線」)の出展作家に選定されるなど独特な活動範囲を築きつつあります。当方も折に触れて東京や大阪、札幌で作品に接したことがありまして、以前から注目している美術家のひとりです。

 

 さておき、今回は二部屋に分かれているCASの全スペースを活用し、片方の部屋にインスタレーション作品が、もう一方の部屋には(川村氏がインスタレーション作品以前から手がけてきている様子の)ドローイング作品が展示されていました。川村氏の制作活動の両端がコンパクトに、しかし濃縮された形で展示されていたわけですね。インスタレーション作品《タイムライン》は金属製メジャーを大量に使って謎の構造物を作ったり、粘土で作られた長いヒモが床を這っていたり、ゴミ袋とクラッカーを組み合わせて謎の造形物を作っていたり、壁面には英語の簡易クロスワードパズルが貼られていたりと、一見しただけでは意を掴むことがなかなか難しく、それゆえ川村氏らしいと言えば確かにらしい作品となっているわけですが、しかし氏からこれは海中/海の底をモティーフにしていると聞かされ、改めて眺めてみるといろいろ得心がいく──謎の構造物は岩場、粘土のヒモはウミヘビ、ゴミ袋とクラッカーはクラゲを表わしていたのでした。さらに言うとメジャーは測定する/される複数の時間の流れ(まさに「タイムライン」である)を指し示している、という。

 

 かような海中/海の底の様相の換喩的表現に満たされたインスタレーション空間──このような換喩的表現を空間の中に満たすことをある位相において(それは日常的にある既製品や道具を執拗に用いることで開示されるだろう)徹底化された形で表象・提示representationするところが川村氏のインスタレーションの大きな特徴である──という形で構成されている《タイムライン》ですが、この作品が、あるいは「プランクトン」という展覧会タイトルがまさに海の生態系をモティーフとしていることはインスタレーションの、あるいはそこにおける様々な換喩の巧さ/マズさといった評価軸を飛び越えて理解する必要があるでしょう。今回カタログに寄稿している大下裕司(大阪中之島美術館準備室学芸員)氏は川村氏の作品に通底する傾向性として「弱さ」をあげつつ──

 

川村は、先人たちが取り組んできたような作家性や作品の自立性の希薄化やそこからの脱臼、あるいは偶然性の獲得といった奮闘からは距離を取ろうとしている。むしろ、作品として「展示される」ことによって生じる、躱しようのない強い対象化を、展示しないこととは別のルートで迂回する。そこには「弱さ」そのものをそのままに抱えたままで、強い・弱いと良い・悪いという観者のジャッジメントではない、関係の作り直しができるのかという問いが存在している。見せる・見るという関係のなかで、作品や展示が評価されるというところからあえて逃れようとするニッチな在り様は、より良い作品を作っていく者がより良い評価を得ていくだろうという競争の状態ではない納まりを探る。

 

──と述べていますが(大下裕司「ジンベエザメは累乗する」)、ここで大下氏があげている川村氏の作品の「弱さ」は、単に弱いのではなく、「距離を取」ること、「関係の作り直しができる」こと、「競争の状態ではない納まりを探る」ことといったベクトルと不即不離であり、それゆえ「弱さ」は状態ではなく、その「弱さ」にある限りにおいて担保される一種の〈能動性〉というべきものへとつなげられる。この展覧会のタイトルが「プランクトン」であることは、プランクトンを食べることで別の生存競争のルールを自ら作りだして進化していったジンベエザメシロナガスクジラといった巨大生物のことを想定するに、示唆的です。

 

 で、こういった別の生存競争のルールを〈能動性〉のもとに作り出すというある種の生物の営みは海中/海の底を単線的な生のルールのない状態として表象/提示するという《タイムライン》が大きく依拠している当のものであるわけで──そう言えば岡本かの子の小説『生々流転』のラストで子供が主人公に「海にお墓なんて無い」と言うシーンがありますが、ここでの海とは「お墓」=生老病死という単線状のライフサイクル、がない状態であり、その意味で人間的な時間感覚の埒外にある何かを予感させるものがある。後で述べるアーティストトークにおいて川村氏は〈弱い孤立/弱い共生〉を今回の自作のキーワードのひとつとしてあげていましたが、この〈弱い孤立/弱い共生〉は以下のドゥルーズの発言にただちに接続されるべきであろう。

 

 空間を充たすこと、空間を分配することは、空間を分割することとは、まったく違っている。それは、生物に遍歴を配分することであり、生物に錯乱を配分することである。

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』)

 

 「生物に錯乱を配分すること」──ドゥルーズが述べる〈共生〉観は後にフェリックス・ガタリとの共同作業において〈平滑空間〉という概念へと超展開していくことになるわけですが、それはともかくとして、川村氏のインスタレーションがその根底においてある〈錯乱〉を胚胎していること、それがいわゆる現代美術における諸メディウムやジャンルを斜めに横断することで〈弱い孤立/弱い共生〉をもたらすこと、これらが川村氏の(今回の出展作に限らない)作風の基底にあることは、ここで改めて確認しておく必要があります。そして、かかる作風は、ドローイングにおいてさらに独特の風貌をともなって立ち現われてくることになる……

 

──

 

youtu.be

 

 ところで会期最終日の12月28日には乙うたろう氏を聞き手に迎えてアーティストトークが開催されました(動画参照)。乙うたろう氏がもともとカオス*ラウンジの近傍において活動を開始したこと、壺の表面にアニメキャラ──特に『涼宮ハルヒの憂鬱』のキャラが多いあたりに、氏の好みがよく現われています──の頭部を極端にデフォルメされた形で描きつける《つぼ美》シリーズが代表作であることもあいまって、トークの話題は川村氏のドローイング作品の方に自ずと集中していくことに。川村氏のドローイングは女の子がモティーフとなっていることが多いものの、いわゆる「絵師」と呼ばれる存在が描いているようなものとは真逆の、あやふやな描線で本当に女の子がモティーフなのかどうかも怪しく見えてくるような絵柄(?)だったりするのですが、そのような絵柄を導入することで、氏が言う〈弱い孤立/弱い共生〉がインスタレーション以上に直截に出てきていると、さしあたっては言えるでしょう。で、トークは、《つぼ美》を作る際に「絵師」的な絵柄で既存のキャラを描くことを意識的に採用している乙うたろう氏との間で〈弱い孤立/弱い共生〉が遂行的に実現するような形で進行していったのでした(乙うたろう氏が現役の図画工作の先生であることも寄与していたかもしれない)。個人的には「下手に描くことにもテクニックがいる」という川村氏の発言が印象的。単に下手orヘタウマだから素朴でいいというようなレヴェルの話ではなく、そのように描くことを可能にするメチエや身体の発明という(未完の)課題がここにおいて露呈することになるだろう。トークの際には聞けなかったのですが、川村氏が中原浩大氏のドローイングについてどのように考えているか、気になるところです。

サロンモザイクのトークサロンvol.00

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 昨夜は展覧会めぐりのあと、大阪天満宮の近くにあるサロンモザイクで開催された「サロンモザイクのトークサロンvol.00」に。西天満にあるギャラリーgekilin.のオーナー飯野マサリ氏と美術家の中島麦氏が(いささか唐突に)始めた新企画。今回は「vol.00」ということで、会場であるサロンモザイクのオーナーであるコタニカオリ女史をゲストに迎えてのトークを中心に、酒ありおつまみありで満員御礼状態。

 

 トークの方はコタニ女史の大阪芸大時代からサロンモザイク開廊に至る現在(来春で3周年になるそうです)までの様々なことが中心になってました。大阪芸大金属工芸を学んだ実作者でもあったこと──今はなき大阪の名門ギャラリー信濃橋画廊で個展経験があり、(同画廊の名物オーナーだった山口勝子の個人コレクションが寄贈された)兵庫県立美術館のパブリックコレクションにも自身の作品があるという──や、そこから方向転換していろいろあってDMO ARTSで働き始め、独立して今に至っていることといった自身の遍歴を、彼女と同世代である飯野氏と中島氏とともに回顧していくといった趣。その中で印象的だったのは、コタニ女史が大阪芸大に進学して美術の道に進み始めた動機が「天才に会いたかったから」と一言でまとめていたこと。(「天才」の定義はどうあれ)自分が天才だとは思わなかったことで現在に至るまで一貫しているとも語っていたわけで、そのあたりに大阪の現代アート界隈における彼女の立ち位置の独自性があるのかもしれない。

 

 終了後は知人たちと飲み食いしたり、開催中の吉村和浩「Blue Garden」展を見たりして楽しく過ごしました。「サロンモザイクのトークサロン」は今後月一回くらいのペースで続くかもしれないとのことで、今後どのような化学反応が起こるか、注視していく必要がありそうです。

Insight 23

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 Yoshimi Artsでは開廊以来、企画展の合間に「Insight」という展覧会を開催しています。最初期はギャラリー所蔵の(主に取扱作家の小品を中心とした)作品を並べていて、他のギャラリーにおける常設展にあたるものとなっていましたが、ここ最近は単なる常設展とはひと味もふた味も違った展開を見せており、個人的には企画展同様刮目しなければならないものとなっている。11月30日〜12月22日の日程で開催されているInsight 23もまた、オーナーの稲葉征夫氏の見識が十全に発揮されたものとなっており、非常に瞠目させられたのでした。

 

 今回は「交差する地点/intersecting viewpoint」というサブタイトルのもと、取扱作家以外も含めた8人の作家の作品が出展されていました。と言っても単純に漫然と並べられているわけではなく、二人ずつ隣り合わせに展示されており、さながら二人展×四組といった趣。それによって何らかの類縁性のもとにカップリングされていること、その類縁性を支えている歴史的でも理論的でもありうるロジックについて観る側の考察を促していたと、さしあたっては言えるでしょう。

 

 ◯今回の出展作家

佐伯祐三/寺林武洋

元永定正/レイチェル・アダムス

カルロ・ザウリ/上出惠悟

泉茂/館勝生

 

 ──今回は以上の四組が出展されていましたが、やはり真っ先に目に入り、気になることしきりだったのは佐伯祐三(1898〜1928)と寺林武洋(1981〜)氏の組み合わせでして、というか佐伯の作品に美術館でも画壇系画廊でもない場所で接するというのは、かなりレアではあり。しかもミュージアムピースとなるような大作ではないもののなかなかな大きさがあったし。最初に一報に接したときは0号とか習作の類であろうと勝手に思っていただけに、いい意味で予想外でした。佐伯の作品は東京美術学校在学中に描いた妻の肖像画、寺林氏の作品は(初期に描かれた)女性を写実的に描いた肖像画で、「女性の肖像画」つながりで対置されていた形になりますが、二人の作品を対置することによって、「肖像画」という、近代絵画において特権的なものとなったジャンルの日本における黎明期〜青春期と紆余曲折を経た現在とを作品を通してショートカットさせていたわけで、これは非常に上手い。

 

 寺林氏は白日会所属画家を中心に日本において謎の盛り上がりを見せている「写実絵画」というムーヴメントから出発しつつ、ガラケーやガスコンロ、ドアノブなど、自身の身辺にあるモティーフを執拗にかつ独特の湿度をともなった筆致で描くという作風で注目を集めていますが──実際、このInsight 23の直前に開催されていた個展(「small life」展)でも、上述したようなモティーフのさほど大きくないサイズの絵画ばかりをあえて展示することによって、氏の美質がさらに突出していたのでした──、ここでの「写実絵画」というのが、少なくとも作家や収集家の間では単に眼前の対象を写実的に描くという一般的な意味用法と明らかに異なった意味合いを含んでいる(らしい)こと、さらに今回、そのような動きの近傍から出てきた絵画が佐伯祐三という日本洋画のビッグネームの一人とされる画家の作品と並べられたことは、単に上手い絵が二枚並べられているというところにとどまらない位相を指し示している。単なる描画行為上のひとつの傾向として以上の意味合いをもってジャンルとして定位された「写実絵画」は近代→現代(→ポストモダン……?)と見かけ上の仮想的な位相においてであれ進行していった絵画史に対する反動──という言い方は一方的に過ぎるのでむしろre-volt(巻き戻し=復古(=維新))という方が適切なのですが、ともあれそのような契機を多く内包していると考えられます。そうでなければ、「写実絵画」の多くはハイパーリアリズムの(周回遅れの?)日本的展開というところに収まってしまうだろう。

 

 以上を踏まえつつ寺林氏の作品に戻りますと、氏の近年の制作活動は、かつて山下裕二氏が喝破したように明治初期の高橋由一の作品に比せられることで、「写実絵画」が確かなスキルを武器にモティーフの圧倒的な分かりやすさ・共感しやすさのもとに集合的に遂行していった絵画史に対するre-voltを「写実絵画」以上のテンションをもって反復していることになります。山下氏による寺林武洋≒高橋由一説が慧眼なのは単なる描き方やモティーフの類似性加減によってのみならず、最初の洋画家と言われることが多い高橋に寺林氏が近似することで、氏がre-voltを敢行していることをも射程に入れているからです。だからこそ寺林氏の作品を佐伯の作品と並べることは、絵画をめぐる近年の史的な(超)展開がもたらしたアクチュアリティのもとに氏の作品(と佐伯の作品)を置き直して再審することで、現在における諸ムーヴメントに目を向け直すことを、さらに言うとre-voltによる絵画史全体の見直しを観る側に強く要請するものとなっているのである。

 

──

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 あとの三組については駆け足になってしまいますが、元永定正(1922〜2011)/レイチェル・アダムス(1985〜)のカップリング(画像参照)では、プラスティックを主に用いて1920〜30年代の彫刻家の部屋あるあるな情景をインスタレーション風に再現/提示するアダムスと、元永による「具体」解散後の絵画/版画作品──そこでは、「具体」時代におけるアクションの痕跡は影をひそめ、謎の不定形な色と形が存在感をともなって描かれることになるだろう──がそのまま立体化したような椅子っぽいオブジェとが並べて置かれることで、アダムスの作品に新たな光を当てることになっていました。ヴィジュアル的な質感と実際の素材とのギャップをあからさまにしつつ、そこに歴史や概念の様々な位相をたたみこんで提示するという、その手法の巧みさがアダムス作品の持ち味なのですが、そのような拡張されたコンセプチュアリズムが元永の色彩/形態と奇妙かつ絶妙に呼応していたわけで、これも上手いこと組み合わせてきたなぁと思うことしきり。またカルロ・ザウリ(1926〜2002)/上出惠悟(1981〜)氏のカップリングは、イタリア現代陶芸界の重鎮として名を成したザウリの作品を今見せることで、ともするとドメスティックな位相に自足しがちな日本の陶芸(をめぐる言説)に対するカウンターとなっていたし、そんな彼の作品と、別の角度から日本の陶芸・工芸の言説空間に実践的に対抗し続けている上出氏とを並べることは、陶芸・工芸に対する視線のアップデートを要請しています。そして泉茂(1922〜95)/館勝生(1964〜2009)のカップリングは、師匠であった泉と弟子であった館の作品を通してこの二人がいかなる意識を共有し、また離れていたか(それは館がどういう理路(と同時代性)を通して師匠超えを敢行しようとしていたのかを跡づけることにもつながるでしょう)を小品ながらもテンションの高い絵画によって考え直すことを促していました。