みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

【資料】関根伸夫「〈位相−大地〉のころ」

「「位相−大地」の考古学」展(1996.6.15〜7.21 西宮市大谷記念美術館)図録所収の関根伸夫の文章「〈位相−大地〉のころ」全文。明らかな誤記や表記揺れなども含めて原文ママ

 

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 〈位相−大地〉とは如何なるものか。そして、それは当時の時代と私自身の仲間と現在の美術とがどのように関係しているのか──これが今回の展覧会〈位相−大地の考古学〉によって問われている問題らしい。この企画を思いついた学芸員の篠さん[篠雅廣(西宮市大谷記念美術館学芸課長(当時))──引用者]は、何度も上京しては訪問してきて、事件の捜査官のように、私に尋問を繰り返し、若気のあやまちでやってしまった29年前の事件を思い出させようとする。状況写真や当時の証拠資料の一端を示しては実行した時の詳細な回答を求める。「記憶にありません」「憶えておりません」とどこかで聞いたような言葉を私も繰り返し、忘却のかなたになっている記憶を呼び覚まそうとする。

 

 確かに私は〈位相−大地〉事件の主犯格であるのに誤りはないが、その発想の動機や制作上の詳細については、明確な記憶を持ち合わせていない。従ってあいまいなままに答えさせていただくと、早速検証がなされ、ますます解らなくなり、「それは他の仲間に聞いてくれ」と言わざるを得ない。「でもあなたがやったのでは…」と詰問されると「はぁ〜」と意味のない馬鹿な返答を繰り返してしまう。

 

 当時現代美術の多様な傾向の変遷のなかで影響された私は、現代の美術は結局のところ新しい空間の解釈法を発見もしくは発明するしかないと考えていった。したがって、様々な分野に興味を持ち、美術と同じ意味で空間が認識できる世界が問題だった。そんななかで当時私は、位相幾何学と禅と老子に占領されていった。最も現代的で柔軟な空間認識が可能である位相幾何学と禅の公案老子無為自然は奇妙に私のなかでは一致していた。従って当時のメモや資料には、これらの読書を通じて得られた文章の羅列が見られる。

 

 〈位相〉とは集合及び連続の概念を導入して、物体とか空間に対して基本的構造を明らかにしようとするものである。直接的行為としては、変形つまり圧縮、引き伸ばし、切断、反転、接続などを試みて、物体や空間の連続とその構造を明らかにするものである。

 物体が伸びたり、縮んだり、別の形態へ変換がなされるのは、連続性を認識の中に組み入れることによってである。

 近傍という概念は連続性から集合の概念を調べることである。可塑性的、変形自在な造形が自由に行われることによって、位相的空間認識は大変強暴かつアクティブな空間認識法であり、今までの広がりとしての空間、奥行きとしての空間、観念的空間に対して、大きな衝撃を与えるものである。

 位相空間への興味は、今までの固有空間が、ある質的変換を経て、他空間と同属であってしまう一種の奇妙さにある。つまり物体(質)そのものも、ある変化の中での一現象であるとする時間的認識が可能なのである。

 変化の中での一現象であるとする解釈は〈相〉という認識に至る。人相、手相、家相とは人の運命や性格に対するデータバンクから、現象に対する構造的解釈を抽出しょうとすることである。

 


 位相幾何学の空間認識法はすこぶる柔軟で強暴な方法であった。例えば、一枚の紙の空間を捉えるとき、紙という物質の物性を考えないで、それを柔軟なゴムか粘土のように皮膜的なものとして捉えて、変形すると、さまざまな形態に変換できる。そしてさまざまに展開した結果、この一枚の紙は球に一つ穴があいた状態のものと捉えることができる。この位相の把握法で現実のこの空間を考えると、さまざまな新鮮な認識が可能になるのである。こんな方法で考えたのが、〈位相−大地〉なのだが、詳しく説明すれば、ある思考実験としてこの地球にある一点穴をあけ、そこから土を掘りだし、その片端に積み上げる。それを永々と繰り返す。(マグマが出てきて地震が起きるというような馬鹿なことはこの思考実験では考えない)。すると、いつの間にか地球は卵の殻状になってしまい、さらに強引に殻を内側からつまみ出すと、地球は反転してしまう。という訳である。そのプロセス全体を示すため、円柱状の穴を掘り、その端には円柱状に土を積んだ訳である。

 

 確かに以上のような思考実験のつもりでこの〈位相−大地〉をつくったのだが、掘り起こされ積み上げた赤裸々な大地の迫力はものすごかった。この制作を手伝った吉田克朗や小清水漸そして私とこの物質感あふれる大地を目の前にして「こんなやり方もあるんだ」とその後の〈モノ派〉を予感したのは確かだった。

 

 空間認識法として位相幾何学的方法を取り入れ、それを現実化したのがこの〈位相−大地〉だったのだが、出来上がった作品はその空間認識法をはるかに超えて物質感あふれるこの現実の迫力に驚いてしまったというべきかも知れない。つまり新しい空間の認識という作家の意図は、作品をつくる契機にはなっても作品は別の存在として独立したものだということである。つまり作品は、作者と関係なく存在しているのである。従って、以後の作品はこの〈位相−大地〉のやり方から影響されたということが言える。次第に私は自然や世界という物質感あふれるこの現実に多少行為を加えることによって、鮮烈な風景を現出することに力点を置いていった。巨大な円筒状のスポンジに鉄板をのせた長岡美術館大賞の〈位相−スポンジ〉、毎日現代美術展の黒い鉄容器に水を入れた〈空相−水〉、鏡面ステンレス柱に自然石を乗せた〈空相〉、東京画廊で油土をさまざまに展開した〈空相−油土〉などである。この時期のメモにはこう記してある。

 

 減りもせず、増えもしない時空という宇宙の存在はただありのままに鮮やかにあるとしかいいようがない。みだりに創ることはできない。できうることは、ありのままのあざやかなままに見せることだ。ちょうど〈位相幾何学〉の変換があるがままの世界を曲げたり、引き伸ばしたり、圧縮したりすることによってトータルな構造を理解する方法であるように。

 〈創造〉することはできない。でき得ることは、ものの表面に付着するホコリを払いのけて、それとその含まれる世界を顕わにすることだ。顕わにすることが数学であり、美術であり、ハプニングであろう。(数学セミナー1969,8)

 


 以上が当時私が考えていた概要だが、今にして思えば乱暴極まりない〈若気〉の至りだったかも知れないが、現在まで〈美術〉を続けてきた基本的なものが全て未熟ながらも含まれている気がする。

 

 昨年[1995年──引用者]〈1970年─物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち〉という展覧会が日本の4ヶ所の美術館を巡回する企画があって、当時の〈モノ派〉の仲間とも何度も会って感じたのは、いったい〈モノ派〉とは何だったのだろうという問である。四半世紀を過ぎた今も〈モノ派〉の連中には明解な解答は用意されていないなという事実である。たぶん、その明晰なる論理を展開できるのは、〈モノ派〉の外にいる人によって初めて可能なのだと直感てきる。私自身でもそうだが、当時のメモや種々の文献を読んで考えてみるうち、自分の内部がまるでカオスかブラック・ボックスのような空白であるのに驚いた次第だ。こちらから問われるとそのように思えるし、あちらから問われてもそうであってもよい気がするようにである。

 

 しかしながら現在展開されている〈モノ派〉論の主張は、李禹煥や峯村敏明によってのみ発言され過ぎた観がある。もっと事実は真摯に受取られなければならないとのみ言っておきたい。

 

 従って〈モノ派〉の外部にいる明晰な研究者によって初めて〈モノ派〉論は可能なのだと思えるのである。