みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

【資料】たに あらた「焼かれた言葉 あるいは 遠藤がエクスタシーを感じるとき」(1993)

 

 遠藤利克の新しい志向は、とてもエロティックなものだ。性愛的にではなく、観念的にそうなのである。

 

 登場する対象は「書物」(言葉をもった器)。この意味の堆積物あるいは意味のメタファーそのものであるオブジェは、遠藤がアイデンティティーを交わしてきた元素のひとつ〈火〉によって焼き尽くされる。いや、正確にはすべてが焼き尽くされるのではなく、半焼き(生焼き)にされるのである。

 

 考えようによってはきわめて残酷なものでもある。無用な意味は焼き尽くされてしまったほうがよい。だが、無用という価値判断ほどじつは残酷なものでもなく、無用なものによってはじめて意味は有用性を帯びる。そうなれば、有用はとりあえず無用の存在によって有用になり、無用はある有用性のためにとりあえず無用の役割に甘んじていることになる。いわば“有用/無用の意味の交換”がこの世界の節理でもある。

 

 だが、この交換関係をオーソドックスに是認してしまうのであれば、遠藤の作品行為は“立たない”。彼の言葉で言えば「感覚としての垂直性」が得られないということになる。〈火〉は、変遷し否定され塗り変わっていくという意味の歴史をかなぐり捨て、意味をもっとも見えるかたちにおいて否定するときの手段として使われる。“焚書”がその端的な例だろう。それはもっとも暴力的な手段である。意味をもうひとつの意味によってではなく、外的な暴力によって焼尽しようとすること。その行為の是非は多くの論議を呼ぶところだ。大半は、この行為について無意味であるとする。確かにそうだろう。

 

 しかし、遠藤はそこに“エクスタシー”を感じてしまう。意味に無類の外的な力が働いて、意味の平均的変動の歴史的コンテキストが揺らいでしまうこと。関係の直接性あるいは遠藤流に言う“感覚の垂直性”は、以上のようなある種“非民主的手続き”によって生誕する。愚昧な意味の交換関係よりは直立する意志のほうがより優れる、と彼の作品は語っているようだ。

 

 その例は今回の出品作の直前の作品が暗示している(タイトル──「Two Walls」、ギャラリー・ヤマグチ個展)。この倉庫をギャラリーに変えた空間は狭いが心地よい。ここに遠藤は平行して立ち上がる木の壁をつくった。百ピースくらいの角材を積み上げてつくった壁で、高さは3m50cmある。「EPITAPH」(1990年)の3mを凌ぐこれまででもっとも高いものである。床に立つとき、当然その上辺は望めない。並立する壁のあいだに立つと圧迫されるような迫力がある。やや古いが崇高な精神性を感じさせるかもしれない。

 

 あのタール特有の臭気に包まれることもない。この作品で初めて遠藤はタールによるコーティングを止めた。代わりにアクリル系塗料によるコーティングをおこなっている。タールによる物質性は後退した代わりに、炭の光沢がいっそう強まり、肌合いが美しく見える。

 

 これは従来の作品とどのように関係づけられるのだろうか。手がかりは多く残されている。ひとつはビーカーの水という直接過去の作品を想起させるものであり、他は焼いた壁が示しているコノテーションである。前者を補足すれば、それは「水蝕III」(1978年)にさかのぼりうる。このとき遠藤は床よりもやや高い位置に水を湛えたビーカーを置いた。このときのモティーフはもとより水である。だが、このビーカーの置かれている位置関係を展示空間もろともに問題にする眼は存在しなかった。それを彼は今に実現しようとしている。「Two Walls」の平行して立脚している壁は、いわば画廊の壁のあい対する面が前進したスタイルである。「水蝕III」のときのビーカーの位置がそうであるように、「Two Walls」のビーカーは壁の下部(床から約30cm)、端のほうに置かれ、相互に回転対称になっている。もっとも新しい作品のそれは強化ガラスでできた高さ50cmもある特製のビーカーで、壁の強度と呼応している。遠藤の水は物質としての水を感じさせないメタフォリカルな世界にも向かうが、ここではじゅうぶんに存在感がある。

 

 作品としてはすでに言いたいことはすべてこれで言いきれていよう。だが、この作品はもうひとつの強い欲望によって裏打ちされている。焼かれた壁の立脚。すなわちそれは画廊空間を焼き尽くすことのシーニュである。床も壁も天井も焼くこと。この危険な想念の存在があってこの作品はよりリアルになる。だから意味は過去の作品から派生し、大きくそれに内包されているかに見えて、多くの分量を壁の彼方へと向かわせる。そしてこれらの行為が予測させる不可能性と向き合うとき、遠藤が無制限のエクスタシーを感じるのは言うまでもない。

 

 このひそみにならえば、新作(タイトル──「敷物─焼かれた言葉」)は、床を覚醒させる彼にとっての新たなチャレンジである。1980年代の遠藤の作品は、垂直はもとより水平を意識させる作品も多々ある。しかし、それらは円環など形態に由来するイメージが圧倒的に強い。ミニマルな形態に由来すると言ってもよい。今回の展示も矩形などのある作品としてのまとまりは実現されるだろう。しかし、それは従来の作品のような意味は担わない。視覚への形態的還元よりももっと書物(言葉=意味)を焼くという行為が重い複雑な意味を担うのであり、さらに書物(記述されたオブジェ)を“敷物”として扱うという暴力的行為によって床を意味(想念)の含有物に組み換える。作品を展示することが日常である画廊の床が、これほど多くの不確定で重い意味によって漂うこともないだろう。言うまでもなく、それも遠藤のエクスタシーを代弁するのである。

 

 書物。この扱いづらいオブジェを遠藤は約2,000冊用意した。これを二段重ねにして展示するだろう。書物の内容は美術に関するものではない。意味をもられた器としての対象一般が彼にとっては問題だからだ。しかし、たとえそうであっても、今回の作品行為が問題になることは間違いない。遠藤利克の有力なモティーフである“火”と“癒しの水”の転形譜は、木や鉄といった素材の領域をはみでる意味を担った対象の介入によって美術内タームを超えた新たな挑戦と対決を強めざるをえないだろう。(美術評論家

 

 ※1993.9.13〜25にギャラリー白で開催された遠藤利克氏の個展に際して発表された。

【資料】たに あらた「遠藤利克の作品について」(1986)

 

 遠藤利克の作品は、そのあらわに示された物質性とはうらはらに、意味の過剰によって担われている。最初期の発表のころから、彼が水をもちいたことによって、私はそこに通常の造形理念とは別種の作品性格を見出さざるをえなくなったが、このことは彼の他の物質への対処のしかた(たとえば火、空気、太陽も大切な要因になる)を含めて、等しくうかがいしれるものであった。つまり、オーソドックスな造形理念を超えるアルケオロジー的物質への対処が濃厚に見られたのである。

 

 行為の痕跡を結果的に表明していた水は、やがて’78年ころより’80年代にかけての発表を通じてよりシンボライズされた意味を示唆するようになる。今回発表の3つのピースから成る木の円柱状の作品は、その後の「棺」などの作品に見られる“隠蔽された水”にいたるステップとなるものだが、時系列を視覚にひきつけてシンボライズした点でほとんど唯一といってよい作品である。

 

 時系列は遠藤の場合、ほとんどロングスパンの歴史に通底しているが、あたかもその発達史のエッセンスを凝縮したような象徴性を担っていたのがこの作品である。3つのピースはそれぞれ1カ所ずつ水を湛えているようにえぐられ、そこに水をためているが、これらの関係構造は“単一と対[つい]”に分かれ、同時に’83年の発表では、単一の場所で火が焚かれ、対のホールでは静態的に水が湛えられるという関係構造で現象している。それは“生のものと煮たもの”といった関係で見ることも自由だが、それ以上に見落としてはならないことは、燃えさかる単一のホールの表出性(およびその結果としての根跡)と、やがて歴史基軸が必然的に現象させることになった対なる関係の絶対性が、その背後で揺れ動いていることであろう。単一と対なるものの接続の仕方にもそのことは見て取れよう。

 

 物体の相貌の背後に隠された意味のネットは、解釈の自在性に裏づけられており、以上のように読める必然性はないが、少なくとも遠藤は作品と作品を包み込むものの両意をもって、極めて根源的なアルケーを現在世界に再活性化させているのである。

 

 ※1986.6.23〜7.5にギャラリー白で開催された遠藤利克氏の個展に際して発表された。

 

「天覧美術」展

 KUNST ARZTで5月22〜31日に開催された「天覧美術」展。出展作家は岡本光博氏(兼キュレーター)、木村了子女史、小泉明郎氏、鴫剛氏、藤井健仁氏の五名。KUNST ARZTはこれまで「フクシマ美術」や「ウォーホル美術」など「〇〇美術」というタイトルでのグループ展を定期的に開催してきており、それによって〈(現代)美術〉の拡張を企図しておりますが、今回はかようなプラットフォーム上に(よりにもよってと言うべきか?)〈天皇制〉を乗せているということで、開催前から話題になっていたようです。

 

 出展作について順に説明します。キュレーターも兼任している岡本光博氏は鳥籠の中に鳥のようなオブジェと小さな写真を入れた作品が二点と信楽焼のたぬきの写真が焼き付けられた陶片を金継ぎしてたぬきのキ○タマを模した陶作品、あとドミニク・アングル《泉》の乳房の部分を菊の御紋があしらわれた銀杯にすり替えた作品も出展していました。鳥籠の作品はカナリア的存在としてのアーティスト(実際、うち一点の写真には昨年の「表現の不自由 その後」展を大炎上させた主要因となったあの慰安婦像と岡本氏が向き合っていました)を、陶作品は「継ぐ」という言葉を介して、日本社会以上に少子高齢化に直面し世継ぎの面で問題を抱え続けている皇室を、それぞれ俎上に載せていると考えられます。岡本氏は定期的に作品が物議を醸していることで知られており、上記の「表現の不自由 その後」展の出展作家でもあったわけですが(管見の限り、同展では(慰安婦像や大浦信行氏の作品のようには)直接的に作品が指弾されることはなかったようですが)、岡本氏特有の、象徴性をめぐるアレゴリーをダジャレや言葉遊びで(フロイトが言う、「現実」の反対としての)「戯れ」の中に落としていく手法を〈天皇制〉相手にも行なっていたと言えるでしょう。

 

 木村了子女史はイケメン男性を日本画の技法で描くことで、美人画ならぬイケメン画(?)の第一人者となっていることで知られています。今回は上皇を彼女お得意のイケメン画として描いた絵画と、菊の御紋と「菊」つながりでassholeを晒した人物画──といっても大和絵や土佐派のような流麗な描線で描かれているので、そこまでエログロではない──が版画と掛軸で出ていました。今回の出展作家の中で最も真正面から〈天皇制〉を、というか「描かれた天皇制」を、描くことで再考している印象。「天皇」と「エログロ」とを直接的に対置することは、その意図や結果はどうあれ、日本の、特にサブカルチュアにおいてひとつの伝統技法と化しているものですが、それを──創られた伝統((C)エリック・ホブズボーム)としての──日本画の技法で行なうという形を取っているわけですから、「描かれた天皇制」、そして「天皇制を描くこと」を主題にする上でとても理に適っている。もちろん作品のクオリティの高さについては、言うまでもない。

 

 小泉明郎氏が出展したのは過去作の映像作品二点。ひとつは小泉氏自身が(?)パンキッシュなジャパノイズミュージックにアレンジされた「蛍の光」に乗せて鉛筆で紙の上で殴り描き(というかもはや「殴っている」と言った方が良いかも)している3分足らずの映像。もうひとつは1990年の即位例の際のNHKの中継からぶっこ抜かれた音声と、『仮面ライダー』内におけるショッカーによって市井の人々が殺されるといった不穏なシークエンスとを極悪マッシュアップした12〜13分ほどの映像(個人的には自衛隊が撃った礼砲の音とショッカー怪人が爆死するシーンとがマッシュアップされていたところに笑)。二つ合わせて15分ほどの映像でしたが、「蛍の光」は昭和天皇が皇太子時代に行なった欧州外遊を回顧した際に思い出深い一曲としてあげていたことや、あるいは2000年の『仮面ライダークウガ』以後2018〜19年の『仮面ライダージオウ』に至るまでの仮面ライダーがいつの間にか「平成ライダー」と呼ばれ、そこから遡及的に最初期の仮面ライダーたちが「昭和ライダー」と呼ばれている──つまり現代日本において元号を冠して呼ばれるのは今や(明治以後の)天皇仮面ライダーくらいであるわけです──ことを勘案すると、小泉氏がどこまで狙っていたかは分かりませんが、かかる作品外の事実込みでクリティカルだなぁと思うことしきりでした。

 

 鴫剛氏の出展作は絵画が二点。ひとつは桜色に染められた国会議事堂が、もうひとつはヘリコプターがモティーフとなっています。1970年代に波や集合住宅を細密に描いた絵画作品によって日本におけるスーパーリアリズムの旗手ないし第一人者となっていることで知られる鴫氏ですが、それだけに今回の「天覧美術」展の出展作家の中でも立ち位置的にひとりだけ異質というか〈天皇制〉をテーマにした展覧会にどのような作品を出してくるか事前に予想できなかったわけで。そういう視線から実際の出展作に接してみると、モティーフもさることながら描き方の面においても見る側に政治性への注意を喚起させるものとなっており、鴫氏の別の側面を堪能できる機会となりました。とりわけヘリコプターをモティーフとした鉛筆画は全体的にボケた感じに描かれており、ヘリコプターそれ自体よりもむしろヘリコプターの影をスーパーリアルに描いたような印象を受けるものとなっていますが、そのことによって(憲法9条によって不可視化された)軍事的なものを、さらに言えば米軍が使用しているタイプのヘリコプターを描いていることで「アメリカの影」((C)加藤典洋)をも見る側に敷衍することを求めているようにも見えたのでした。

 

 藤井健仁氏は一貫して鉄を鍛造して人物や猫、謎の生物などをモティーフにしたフィギュア的彫刻作品を作り続けていることで知られています。今回の出展作は以前に手掛けていた「彫刻刑・鉄面皮」シリーズから昭和天皇麻原彰晃をモティーフにした作品と、こちらも鉄を素材にしたほぼゴルフボール大(さらに小さいものもあり)の昭和天皇の頭像数点。特に麻原彰晃をモティーフにした《SA》は──『終わりなき日常を生きろ』で地下鉄サリン事件(1995)後の論壇のトレンドセッターとなった──社会学者の宮台真司氏が購入し所蔵していることでも有名ですが、今回関西では初公開とのことで、個人的にはこれがかの有名な…… とガン見しきり。今回は昭和天皇の(等身大以上の)鉄面皮と並べられることで、〈天皇制〉とそれをモデルにした擬似国家的な組織を志向していたオウム真理教とを極端な対比のもとに置いていたわけで、作品自体もさることながらチョイスがなかなかおそろしい。一方、小さい昭和天皇像はその小ささにおいて人間宣言後の天皇の暗喩として(確か大塚英志氏だったかが「かわいい」の一言で戦後の天皇制のありようを説明していました)あるように見えまして、見ようによっては鉄面皮シリーズ以上に天皇制の本質を撃ち抜きうる射程を秘めたものとなっている。

 

 ──作品については以上ですが、この「天覧美術」展の英語タイトルが「Art with Emperor」であることは、同展について考える上で非常に重要なファクターであるように、個人的には思われます。「of」でも「for」でもなく、ましてや「against」でもないわけで、このあたりの、キュレーターとしての岡本氏のバランス感覚は、それ自体として注目すべきことであるように思われます。

 

 

 この展覧会については、関西屈指の美術ジャーナリストとして知られる小吹隆文氏がtwitter上で「極端に偏向していて」「とても不愉快だった」と発言したことが関西において物議を醸していた様子ですが、しかしながら先に触れたように「with」によって「Art」と「Emperor」を対置することによって、双方との間にディスタンスを設定することがキュレーションを通して目指されていたのだとすると、この「偏向」は、〈天皇制〉を美術によって俎上に乗せるに際して、それ自体として必要であったと言わなければならないでしょう。美術が〈天皇制〉に対してなしうることは、偏向によってディスタンスを設定し、そのことによって思考可能なものとして対象化することである。そうする形で複数の視点/焦点を確保する(ここでおそらく花田清輝の「楕円」を思い起こしておくことが必要かもしれません)。この感覚を忘れたとき──つまり、例えばこの展覧会が「Art against Emperor」展とかだったとき──視点/焦点は再び一元化され、〈天皇制〉はシステムとして再生産されてしまうことになるだろう。岡本氏自身や小泉氏といった、「表現の不自由・その後」展の出展作家も(部分的に)招きつつ、同展が陥っていた一元化と違ったルールを設定しようというのが「天覧美術」展の試みであったわけで、それが上手くいっているかどうかについては議論の余地はあるでしょうけど、現時点においてかなり高い水準でなされていたことは事実でしょう。

 

 なおこの展覧会は6月2日から東京のeitoeikoに巡回しています(〜6.20)。さすがに東京に見に行く金銭的・時間的余裕はないのですが、首都においてこれらの作品がどのようなコンテクストのもとに受け止められることになるのかは気になるところです。

明楽和記「絵画」展

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 大津市にある2kw galleryで2月1日〜23日の日程で開催の明楽和記「絵画」展。関西を中心にコンスタントに活動し続けている明楽和記(1988〜)氏の個展で、川口市立アートギャラリー・アトリアの学芸員である三井知行氏がキュレーションを行なっております。

 

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 今回は近年明楽氏が展開している単色の平面の上にアイスクリームを乗せた作品や、大量のビー玉を床にばらまいた作品、さらにはギャラリー内にシャボン玉を飛ばす装置が置かれていました。2kw galleryは二フロアにまたがって展示スペースがあるのですが、今回は出展作品数がかなり絞られておりまして、特に二階には天井近くに置かれた装置からシャボン玉が飛んでくるだけで何も展示されておらず、これはまた贅沢に使ってきたなぁと思うことしきり。と同時に氏の個展にそれなりに接してきた者から見ると、きわめて「らしい」作品揃いとなっていたのでした。


 明楽氏は以前から自身で手を動かして描くことに替えて既存のモノを何らかのルールに従って再配置することで絵を描くこととする作風で知られています。特に2016年にCASで(平田剛志氏をキュレーターに迎えて)開催された個展では、それぞれの「色」に見合った他人の作品を展示するという荒技を見せておりまして──そのときは「白」ということで今井祝雄氏の《白のセレモニー》シリーズの一作を持ってきたり、「黄」ということで越野潤氏の作品を、そして「緑」ということで冨井大裕氏の緑色のプラスチック製収納ボックスを積み重ねた作品を持ってきたりしていた。つまり「絵を描くこと」を「「色彩」を再-配置すること」と読み替えた上で、それを展示空間内において他者の作品によって行なっていたわけですね。こういった行為自体はいわゆる「アプロプリエーション(流用/奪用)」として欧米の現代美術においてそれなりの歴史があり、したがってそのこと自体は独創的というわけではないのですが、明楽氏の場合、それを〈絵画空間〉という、絵画について語る/語られる際に非常に多用される用語を文字通りに受け取った上で行なうという態度と合わせることで、この手の流用/奪用行為に新たなモーメントを付与していると言えるでしょう。その結果として、明楽氏の作品というか作品とされることになる行為は、流用/奪用行為が元のものを全く異なる文脈や位相に置き直すことでその真正性のようなものを逆説的に前提とし強調するのに対し、それとは逆の理路を歩むことになるのではないか《おそらく彼は、具体など先輩作家の活動や作品から方法論を取り出し、少し前に流行った言い回しを借りるなら「やってみた」というくらいの立ち位置で活動している。「似て非なる」という言い方が表面的な類似よりも本質的な違いを強調する表現ならば、彼の場合は本質的な差異を前提としながらも、敬意を含んで類似を良しとする「非で似なる」という形容がふさわしいように思われる》(今回の展覧会に際して執筆された三井氏の文章「「似て非なる」と「非で似なる」は似て非なるものか?」より)。


 ところで当方が今回の展覧会に接した際には明楽氏が在廊しており、二・三歓談しながら作品を鑑賞したり床に撒かれたビー玉を蹴ったりしていたのですが、氏が自身の制作・行為を「東洋的」というキーワードで語っていたのが個人的にはかなり意外でした──上述したように〈絵画空間〉を実際の空間において文字通りに実現することが氏の「絵画」の特質をなしているするなら、それは西洋絵画における根本的なミッションのひとつとしての絵画空間の拡張にかかわるものと思っていたからです。もちろんここにおける、あるいは以下における「東洋」「西洋」がきわめて雑駁な、具体例を通した検証を欠いたものであることは言うまでもないのですが、しかし明楽氏が「「東洋的」絵画」に広く見られる傾向性として象徴性の相対的な不在──書画において描かれたものはまさに「描かれたもの」として実在し、それが(キリスト教の宗教画のように)別の何かの象徴とかアレゴリーとなっているわけでは必ずしもない──をあげるとき、作家としての予感ないし直観によって掴まれた何かが確実に存在する。


 かような明楽氏の「「東洋的」絵画」についての話を聞きながら、そう言えば道元が『正法眼蔵』において「画」という言葉を用いて自身の仏法観を説明していたのを思い出しました。後に中村一美氏がこの箇所を引用して自身の絵画(とりわけゼロ年代後半から現在に至るまで描き続けている《存在の鳥》シリーズ)について自己語りをしていたわけですが、ともあれそこで道元はこのように述べている──

 

 ただまさに尽界尽法は画図なるがゆへに、人法は画より現じ、仏祖は画より成ずるなり。


 しかあればすなはち、画餅にあらざれば充飢の薬なし、画飢にあらざれば人に相逢せず。画充にあらざれば力量あらざるなり。おほよそ、飢に充し、不飢に充し、飢を充せず、不飢を充せざること、画飢にあらざれば不得なり、不道なるなり。しばらく這箇は画餅なることを参学すべし。この宗旨を参学するとき、いさゝか転物々転の功徳を、身心に究尽するなり。

 


──「尽界尽法は画図」である、すなわちこの世界はことごとく描かれた画であると道元は述べているわけですが、のみならず「画餅にあらざれば充飢の薬なし」「画充にあらざれば力量あらざるなり」と重ねて言うところに道元の認識がある徹底性をともなって開示されている。「画餅」すなわち描かれた餅でなければ飢えを満たすことはできず、描かれた充でなければ力量は発揮されない。このとき「画」とは単なる絵ではなく、それを越えたもの、実在するものの実在性をあまねく実現する位相のこととなる。このような「画」こそ仏法であると道元は言っているわけですが、いずれにしても、私たちがしばしば別物とする「描かれたもの」と「現実」が別物ではなく、双方を横断する「画」が存在するしそれがなければ双方ともども存在しえないというのは、「「東洋的」絵画」という茫漠とした広がりについて考え直したりバージョンアップしたりする際の取っ掛かりになりうるかもしれない(かかる解釈が曹洞宗的に正しいのかどうかは全く分からないのですが)。


 少々寄り道が過ぎましたが、明楽氏が(いささか唐突に)自作について新たな視角から語り出したことで、氏の新展開/超展開に触れる形となったわけで、今後どのように推移していくことになるのか、改めて注目する必要があることは間違いないでしょう。

本山ゆかり「称号のはなし」展

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 左京区浄土寺にあるFINCH ARTSで昨年12月20日〜今年1月19日に開催の本山ゆかり「称号のはなし」展。ここ数年、京都を中心に個展やグループ展を精力的に続けている本山ゆかり(1992〜)女史の、同ギャラリーでは初めてとなる個展。

 

 本山女史といいますと、透明なアクリル板に白い絵の具を雑に塗った下地に、さらに雑な──「「あたかも子供の落書きのような」という形容が非常にピッタリくるような」というべきでしょうか──ドローイングを施した平面作品で注目を集めていますが、今回の出展作は二枚の異なる色の布を継ぎ合わせて裏地に綿を打ち、そこにミシンの縫い目によって花の絵を施すという、これまでとは全く異なる傾向の平面でも立体でもあるような作品(画像参照)。本山女史いわく、これまでのシリーズとは別の作風のシリーズをもう一つ作りたかったからかような作品をものすようになったとのことですが(実際、かような作風は今回が初めてではなく、昨年Gallery @ KCUAで開催された「京芸Transmit Program 2019」( http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20190413_id=17395#ja )に選定された際にも出していたという)、実際に作品に接してみると、そのような内的動機に単純に還元できない形で批評的/危機的にエッジの効いたものとなっているように個人的には思うことしきりでした。

 

 それは、今回の出展作品が様々な点において「絵画」を逸脱したものとして提示されているところに、如実に現われている。上述したように、布を、それもカンヴァスに類するようなものではなく、サテン地の、服飾によく使われるであろうと見る側に認識させるような生地を支持体に、二色の生地をつなぎ合わせることで作られた下地にミシンの縫い目によって花の絵を描くというのが今回の本山女史の出展作だったわけですが、かかる作品のありようは、通常の絵画ないし平面のありようを、一見して判別できるレベルにおいても斜めに逸脱しようとしていると、さしあたっては言えるでしょう──絵具を一切用いていないという点において、これは絵画というよりもテキスタイルであるし、綿を打っていることでペシャンコになった座布団という相貌を見せている点において、これは単なる平面というより立体でもあるし。さらに言えば、下地がたわんだ形で壁に掛かっていたことも、下地が下地であることを露わにしていたという点において「絵画」からの逸脱を指向している一例とみなすことができる。そのような形で、今回の出展作は、作り方のみならず、その展示のされ方という位相においてもまた、いくつかの既成のジャンルに還元できないものとして提示されているわけですね。その意味で、この展覧会はまさに「称号」をめぐっている。


 ところで今回の「称号のはなし」展については、インディペンデントキュレーターの長谷川新氏が展評を寄稿しております( http://haps-kyoto.com/haps-press/exhibition_review/2019_10/ )。《何年前だったか、今をときめく新進気鋭の若手作家に「僕たちはもう”レイヤー”とかじゃないんですよ!(大意)」と言い放たれたことがあ》るという経験を出発点に、「レイヤーlayer」という言葉が持つ積層された垂直性のイメージを強く喚起させる語が特権的なマジックワードとなって語られてきたここ十数年の日本におけるある種の絵画論のモード──そこでは積層する諸層/諸相を一元的に貫くベクトルの強度が作品の強度とされることになる(スーパーフラット!)──を横目に見つつ、しかし作品内における《弛緩した緊張感》を肯定すること、《より一挙に、絵画をやっている》ことと《任意の線が三次元空間に引かれてしまっていることそれ自体の歪さを、素直に肯定してくれている》こととにフォーカスすることが本山女史の絵画を見る際には重要なのではないかという長谷川氏の指摘は、彼女の作品を見る上で何か重要なヒントを提供していると考えられます。実際、彼女の今回の出展作においてより顕著になっているのは、──二色の下地が交わることなく並行して縫い合わされているという点に最もよく現われているように──諸相がレイヤー状に積み重なっていくというよりも、むしろ水平に薄く広がっていくような感覚である。もちろん単純に垂直/水平という二元論に還元することはできないのですが、「縫う」という行為を制作の主軸としている本山女史の今回の出展作においては、かような二元論をも(またしても)斜めに逸脱することが試行されていることは間違いないでしょう。