みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

かのうたかお「POWER OF TSUBO」展

 ギャラリー恵風で8月27日〜9月8日に開催のかのうたかお「POWER OF TSUBO」展。陶土や砂を使って陶器の中の空間を具現化させた(陶器の陰刻というべき?)陶作品で知られるかのうたかお(1973〜)氏ですが、今回はそれ以外の様々な方法で作られた大小のいろいろな壺が出展されていました。かのう氏いわく、一人グループ展のようなノリで作ったとのことですが、上述した代表的な作風以外の方法による作品に接したことがなかっただけに、新鮮な気持ちで接することができました。

 

 壺が主題となっていた今回の「POWER OF TSUBO」展ですが、しかしここでかのう氏が「壺」に、より細かく言うと「現代陶芸の現在の中で「壺」を作ること」に込めたインプリケーションを含めた上で展覧会に接してみることが重要でしょう。壺は今日においては、よほどの大金持ちか特定の職掌の職人でもない限りもはや実用目的をほとんど持たないのに、依然として陶芸全体に対するメインアイコンとなっています。身近な例で言うと、われわれは得てして陶芸家に全く普通に何の悪気もなく「壺作ってるんですか?」と訊くものですが、そういう形で「壺の力」は制作者も鑑賞者/ユーザーも規定しているわけですね。

 

 かのう氏が慧眼なのは、このような「壺の力」を単なる陶芸あるあるネタ・自虐ネタのマクラとしてではなく、──驚くべきことに──八木一夫に始まる現代陶芸への批評的視座を確保するためのマクラとしていることである。よく知られているように、八木は「壺の口を閉じること」から「オブジェ焼き」と自ら名づけた陶芸の道を開いていくのですが、壺自体がかつて持っていた実用性を失いそれ自体がそのままオブジェ焼き状態となっている現状においては、むしろ「オブジェ焼きの口を開くこと」の方が(現代)陶芸に対する批判/批評としてより重要なのではないか、というのですね。個人的にはその発想はなかったし、陶芸が自らの歴史性を基盤にした上でコンセプチュアルアートとしての相貌をさらに見せていく中で参照されるべき見識であるように思うところ。

 

 かのう氏が召喚した「壺の力」は壺中天を貫いて陶芸の現在を吞みこむ深さを秘めていると言えるでしょう。