みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

「泉茂 Drawings 1960's」展

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 偶然にも仕事が休みだったので、Yoshimi Artsとthe three konohanaの二会場で8月24日から始まった「泉茂 Drawings 1960’s」展を初日に見て回ることができました。大阪において長く活躍してきた画家泉茂(1922〜95)については2017年にもこの両ギャラリーが協同して回顧展を開催していたものですが、今回は両会場とも、1966〜69年ごろに集中して手がけられつつも習作だったこともあって生前には公表されることのなかったドローイング作品が出展されています。

 

 この時期の泉は滞在先のパリにおいてストロークが強調されたドローイングの一部を改めて拡大して描くという作品を多く制作していますが、68年に帰国して大阪芸大の教授になり、70年代に入ると一転してミニマルな図形をエアブラシで描くようになる、その端境期に当たります。したがって今回出展されていたドローイングはパリ時代の作風を維持しつつも、しかし泉の関心がストロークから画面内におけるフォルムへと移りつつある──というか、移らざるを得なくなった──中で手がけられたと見ることができる。

 

 1960年代後半は、超乱暴に言うと、欧米では後に大きく開花することになるミニマルアートやミニマリズムといった動きがそろそろ明確に潮流として可視化されつつあった時期に当たります。かような同時代の動向に対して、ドローイングという形で即興的に描かれたストロークを絵画として意識的に描き直すことでキャラクター化するという形で応接しようとしていた泉が、そういった行為による画面全体の構成に関心を移すことで後の(超)展開に至る道筋を見出すという制作の内的論理ないし論理矛盾がこれらのドローイング作品──今回出展されていたのはそのごくごく一部に過ぎず、実際は何百〜何千枚(!)もあるとのこと──の原動力になっていたのかもしれません。折々において画風をガラッと変えてきたことで知られる泉ですが、表面的な違いを超えてそこに一貫していたのは手で描くという原初的なプロセスの中で自身に訪れたピンチをチャンスに変えていくという態度であったことが、出展作からは伝わってきます。

 

 その意味でこの時期のドローイングは泉の制作内における闘争(というといささか大げさでしょうが)の軌跡としても貴重であろう。9月8日まで。