みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

「depth 2019」展

 Oギャラリーeyesで開催中7月22日〜8月3日に開催の「depth 2019」展。「深さ・深み」を意味する「depth」をキーワードに、大野浩志(1961〜)、岡本里栄(1988〜)、山崎亨(1960〜)の三氏による三人展となっています。1980年代から作家活動を続けている大野氏と山崎氏に京都を中心に活動している若手である岡本女史が加わっているという構図ですが、三者ともそれぞれに独自の視角から平面における「depth」を問うており、なかなか面白かったです。

 

 支持体にプルシャンブルーの油絵具を塗り重ねていくという作業を数年〜数十年(!)にわたって続ける大野氏、近年は紙で作った謎オブジェを撮影した写真作品を多く制作している山崎氏、人物や衣服を筆触を強調した画風で描く岡本女史と、「depth」をキーワードとした出展作品は三者三様でしたが、特に第二次大戦後に勃興した抽象表現主義以降、絵画が全体として深さから「浅さ」へと解体──ことにそれは「深さ」=遠近法をイリュージョンとみなし、それを捨て去ることで純然たる平面性を露呈させることが絵画の本義であるとする(アメリカにおける)モダニズム批評によって、決定的な流れとなるであろう──されて久しい現在においては、ある種の反時代性を帯びたものとなるわけで、その意味で出展作品はそれぞれに深さ/浅さ、時代性/反時代性が必然的に強いることになる緊張関係の中で制作されていると言えるでしょう。

 

 ──そのような角度から作品を見ていったとき非常に興味深かったのは、「depth」をキーワードとしつつ、しかしそれぞれに「浅さ」が作品の重要な構成原理として機能しているように見えることでした。大野氏は上述した作品に加えて透明アクリル板でデカルコマニーを作り、ペインティングが施された画用紙と重ねることで深度を物理的に作り出していたし、山崎氏の写真は被写界深度を極端に浅く設定して撮影されているし、岡本女史の絵画は(投票用紙に使われていることで知られている)ユポ紙を支持体にすることで上滑りするような描き心地のもとに描かれている。これらから見えてくるように「depth」を単なる深淵としてではなく、いったん「浅さ」を(技法や材料的に)経由することによって到達するという理路が取られているわけで、それはモダニズム以後というか、もはやモダニズムすら空気のようになっている今日において、モダニズムが要請する「浅さ」と反省的に向き合う上で重要な態度であるように、個人的には思うところ。

 

 なお今回の「depth 2019」展では(でも?)、平田剛志氏がテクストを寄稿しておりまして、先日まで「フラッシュメモリーズ」展のキュレーションを担当していたし、以前から京都を中心に評論活動を続けてきた平田氏もいよいよ大阪にも本格的に進出するんだろうかと思うことしきり。