みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

今道由教展

f:id:jnashutai:20190727015540j:imagef:id:jnashutai:20190727015543j:image 西天満にあるOギャラリーeyesで7月15〜20日に開催されていた今道由教展。「いかにシンプルな手法によって絵画が成立するか」(←配布されていたペーパーより)という問題意識のもと、1990年代から作家活動を続けている今道由教(1967~)氏ですが、近年は毎年だいたいこの時期にこのOギャラリーeyesで個展を行なっております。近年の個展では表裏に違う色を施した紙に切れ目を入れて折り返すことで謎のリズム感をともなって連続した色面を作り出すといった作品を出展していた今道氏ですが、今回はやや趣向を変え、《色面の出来事》というタイトルのもと、「矩形の紙をフリーハンドで裂いては折り曲げることを繰り返してできる不定形の両面に異なる色彩を施した」作品と「色面を水で湿らせながら紙を折り曲げたり、圧縮するように丸めたりする」作品が出展されていました。


 個人的にはとりわけ前者の作品に超瞠目。制作方法としては上述したような近作との連続性があるわけですが、色面の(あるいは色面と余白の)境界線を目で追っていくといつの間にか紙=支持体の裂け目だった境界線が色の境界線になっている箇所が散見され、支持体と色面(およびその形態)と余白とが単に断絶しているわけでも単に連続しているわけでもなく、複雑な関係性をもって一つの作品の中に混在していることが、さらに言うとそうした関係性によって支持体と色面(およびその形態)と余白との相互に撹乱された前後関係が全面化しているという点において、一種の遠近法がそこに見出されることが見る側にも感得されるものとなっていた。


 今回の出展作に限らず、今道氏の作品は主として支持体に直接手を加えるものが多いことから、1970年代のフランスにおいてブームとなったシュポール/シュルファス(support/surface)とある程度連関していると考えられます。絵画/平面を支持体(シュポール)と表面(シュルファス)との両端からなるものと定義した上で改めてこの双方をつなぎ直す──「描くこと」は、そのような行為(の表出)と再定義されることになる──という論理構成によって作品を制作することがシュポール/シュルファスにおいては目指されることになるわけですが、しかし今道氏の(少なくとも近年の)作品においては、支持体に直接的に手を加えることが、上述したように描かれるモティーフや色彩なしに遠近法的な空間を作ることと深くかかわっていたという点において、いわば「シュルファスなきシュポール」というべき独特の位相を思考/志向していたと言えるでしょう。してみると、今回の作品においては、そうして作られた「シュルファスなきシュポール」に新たに色彩という要素を加えてさらに精緻化させていたと考えられます。それは今道氏が色の選択や使い方についてはあまり頓着していない様子らしい(と、ギャラリーのオーナー氏からうかがいました)ことからも垣間見ることができます──色彩もまた、氏の作品世界においては、シュルファスではなくシュポールにかかわるものとしてあるからです。


 一方、後者の作品は、紙の両面に違う色のポスターカラーで着色したあと水で湿らせながらクシャクシャにしていくというもので、ポスターカラーには耐水性がほとんどないため両面の色彩が微妙に色写りしたり混ざったりすることになるわけですが、それによって支持体と色との関係性、さらには平面と立体との関係性にも「シンプルな手法によって」言及するものとなっており、その意味で絵画論/立体論として、こちらも瞠目すべきクオリティを見せていたのでした。