みヅゑ…

流転の好事家あたしかの公開備忘録

北辻良央「東征伝」展

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 +Y GALLERYで5月8日~6月8日の日程で開催されていた北辻良央「東征伝」展。60年代末から現在に至るまで制作活動を続けている北辻良央(1947~)氏ですが、今回は氏が近年始めたという油絵の新作が並んでいました。

 

 北辻氏といいますと、1970年代前半には地形図を何枚も繰り返し模写したり、写真に撮った風景を思い出しながら手で出力したりといった作品によって現代美術界で地位を築いたことで知られていますが、70年代後半から80年代になると、そのような「コンセプチュアル」と雑駁にまとめられるような傾向から「物語性」を濃厚にたたえた平面や半立体作品へと作風を超展開させたことでも知られている。その軌跡については、この+Y GALLERYが昨年三期にわたって詳細に紹介しており(「北辻良央の70年代」展)、美術館で超展開前/後の作品に断片的にしか接してこなかったためにどうしてこうなった感が先に立っていた者としては非常にありがたい機会となったものです。超乱暴にまとめると、自身の手や脳で模写や回顧を繰り返すことで作品は地形図や風景といったレファレンスから微細なズレを孕んで増幅されていき、そのような過程を経ることで自身の身体や記憶が次第に前景化し、そこに自身が慣れ親しんできた古代史などのような物語が「物語性」として導入されていくわけで、一見すると対立的に捉えられることが多い「(自身にとって内在的な)物語性」と「(自身にとって外在的な)コンセプト」とが交差し、“コンセプチュアルな物語”というべきものが再演される場として作品が改めて以上のような過程も込みで作られる──北辻氏の超展開は概ね以上のような形でなされたと言えるでしょう。そしてそれは一人北辻氏のみならず、70年代後半において一群の現代美術家たちによって集合的に展開されていったのでした。そのような動向は後に回顧的に「ポストもの派」と呼ばれていくことになるだろう……


 ──で、今回の油絵はかかる超展開後の仕事として最も著名なもののひとつである《二上山》(1998-99)以後、北辻氏の作品において断続的に取り上げられているヤマトタケルノミコト日本武尊or倭建命)の神話が再び取り上げられていました。北辻氏は(最近世界遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群がある)大阪府羽曳野市出身だそうで、同市も含む南河内一帯は大和に近いこともあって、この手の史実とは言い難いが物語化されて伝承された話に事欠かないという。ヤマトタケルノミコトが東国遠征の帰途に死亡し、白鳥になって最後に降り立ったとされる白鳥陵とか。


 とは言え、ここでの北辻氏の関心は、こういった我が街に伝わる神話や伝承の紹介というような位相にではなく、これらを見聞して育った自身の身体をもって改めて物語性に向き合うことという位相にあることは、ここで注目しておく必要があるでしょう。先述したように北辻氏においては物語は「再演」されるものとしてあるわけですが、今回の「東征伝」展においても、かつて自身が描いた水彩画を油絵で再び描いた作品が(元の水彩画と一緒に)出展されていました。物語の再演を自身の絵画作品の(メディウムを変えた上での)再演という形で行なっているわけですね。北辻氏は自註において油絵については今後の課題であると述べておりますが、神話や伝承の単なるカーボンコピーではない形で自分自身の身体を物語性の主体とするという1980年代以後の氏のミッションないしプロジェクトがこのような成果をあげているところに、私たちはもっと注目すべきなのかもしれません。論理と歴史が交錯するとき、物語が始まる。